2012年7月20日金曜日

モデリングとシステム工学


1980年のころ筆者が初めてアメリカに行った時は、「やけに老人が多い社会だな」 と思いましたが、最近の日本は全人口中の老人の比率でアメリカを抜いたそうです(アメリカの老人比率は、当時から今に至るまでほぼ横ばいです)。
 20歳の頃の筆者が今の日本に現れたら当時と同じく「やけに老人が多い社会だな」と思ったに違いありません。
これと似たようなデジャヴ(既視感)を、筆者はごく最近、体験しました。
昨年、鎌倉に越して来たのですが、老人の比率がやけに高いのです。
住民の老人比率が全国平均を大きく上回る上に、観光客の年齢層が輪を掛けて全体に高いため、老人の渦巻く日中の鎌倉市街では、筆者などはまだまだ若者の部類です。
日本が突入するであろう2〜30年後の老齢化社会に、一足早く踏み入れている状況と言えます。
鎌倉生まれのM君によると、この鎌倉の老人の多さは今に始まった話ではなく、彼が知る範囲で相当大昔からこのような状態だったそうです。
老人と言っても、しかしながら、気が若く元気な人が多い点は、鎌倉の美点と言っていいでしょう。
こちらに越して来て間もない頃、駅裏のスーパーの駐車場でぼーっとしていた所、真っ赤なスーツ姿の老婆があふれんばかりの白髪を振り乱しながら真っ赤なツーシーター(2人乗りのスポーツカー)から現れた時は正直驚きました。
てっきり、鎌倉山に棲むと言う伝説の山姥が里に下りて来たのだと思いました( (;゚Д゚) )。


デジャヴ

筆者は、学校その他でSysMLを人に教え、そしてシステム・モデリングの演習中によく出くわす光景があります。
システムのモデル図をツールを使って描こうとする時、SysMLの特性から、一カ所を変更しようとすると関連する他の図まですべて自動的に変更されてしまうため、初学者の人は、なかなか思い描く通りの図が描けず四苦八苦してしまいます。
 こちらを直せば、あちらがおかしくなる、と言う具合に悪戦苦闘する姿は、システム・モデリングの通過儀礼、バンジージャンプのようなものと言えます。
  • SysMLと言っても、言語的にはUML図を書いているので、この分野で活躍したいと考える若い方には、UMLも勉強する事をお勧めします。けっして、遠回りにはならないと思います。上級のモデリングには、OCUPインターミディエート程度の知識は必須です。また、システムが大規模化、複雑化するにつれて、ソフトウェアへの依存度が急速に高まって来る事が多く、ソフトウェア畑出身でないシステム設計者にとってもソフトウェア工学の知識は重要です。
 これだけであれば大した問題ではないのですが、本当の問題はその次です: こうして苦労して描き上げたモデル図群を見て、システム・エンジニアリングした気になってしまう事です。
実は、システム・エンジニアリングしているどころか、始まりもしていません。
MBSEは、モデル・ベースのシステム・エンジニアリングの略であり、 モデル図をもとにシステム・エンジニアリングを行なう事であって、モデリングはその前提技術です。

表題にデジャヴと大きく掲げたのはこの問題で、UMLを使ったソフトウェアのモデリングでも、そっくり同じ現象が発生します。
つまり、モデリングした時点でソフトウェア・エンジニアリングをした気になってしまうのです。
モデリングを元にソフトウェア・エンジニアリングの観点から分析を行なう事が主題のはずが、それを飛ばしていきなり実装に移ってしまいます。

これは、時々友人にも話すのですが、MDA(モデル駆動型アーキテクチャ)という言葉自身にも原因の一端があるのではないかと思います(特に実装志向の強い日本の環境下では。 歴史的には、モデリングは実装ではなく、問題の分析、ソリューションの設計のために発達して来た技術です。)

むしろ、MBSEと同じように、モデル・ベースのアーキテクチャあるいはモデル・ベースのソフトウェア・エンジニアリングと言った方が誤解がないと思います。
モデル・ベースのアーキテクチャがあれば、モデル・ベースでないアーキテクチャもあるわけで、どちらを選ぶべきかは、良し悪しの問題ではなく、向き不向きの問題です。



2012年7月5日木曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 9

京都風の庭
筆者の友人のM君は、鎌倉生まれ、鎌倉育ちの人です。
先祖も鎌倉に古くから住んでいたそうで、彼の母方の家の方は有名な鎌倉権五郎景政の一族のようです。
そのM君に、「鎌倉にも京風の庭を持つ寺がありますよ」と聞いて訪れたのが左の写真の長寿寺です。
なんでも、「足利尊氏さんの屋敷跡」だそうです。


前回、日本のアプローチが分析的、分解的だと書きました。
これは、日米のシステム設計のやりかたを見れば、違いは一目瞭然です。
ATM(自動預金支払機)の例で見てみたいと思います。
今は少し変わりましたが、アメリカの空港や銀行では、故障中と表示されたATMがかなり多く並んでる時がありました。
そして、故障したATMは、修理もせず何日も放置されています。
知人の日本人技術者は、その光景を見て、「アメリカのATMの開発者たちは、こんな光景を恥ずかしいと感じないんだろうか?」と首をひねっていましたが、当のアメリカ人たちは、使えるATMがあるうちは気にしていないようです。
アメリカのアプローチは、ATMユーザーの使用頻度、ATMの故障発生率、修理に廻る技術者の可用性やコストなどを勘案して、必要なATMの台数を計算し、各拠点に配備するやり方です。
一方日本は、高品質高性能なATMを少数配備するやり方です。
筆者も時々経験する事ですが、日本ではかなり昔から、時々、銀行のATMを待つ人の列が延々続く事があり、待ちきれずに引き落としを断念する事もあります。
アメリカ人から見れば、「こんな低品質なサービスを放置し続けて、銀行の経営者たちは恥ずかしいと思わないんだろうか?」となるかも知れません。

これは、国民性の違いや制度上の問題もあって、一概にどちらが良いとは簡単には言えない問題ですが、アプローチの違いは明解です。

また製品開発においても同様で、品質の問題を分解的に解決しようとする傾向が強く、その結果、日本製の部品は、ソフトウェアを除けば世界で最も優れた品質にある事は間違いないでしょう。(ソフトウェアの品質は、その定義をどこまで拡げるかによって変わってきますので、一概には言えません。)

これは、組織のマネジメントにも同様な傾向が見られます。

筆者は昔、20代の頃アメリカのIBMの研究所に勤務していた時期がありますが、その時の同僚にDさんと言う人がおりました。
同僚と言ってもDさんは当時60歳前後で、筆者とは親子以上に年齢が離れておりましたが、非常に親切な方で色々と大変お世話になりました。
そのDさんは、会社でもかなりの変わり者に分類されていました。
まず、大変な大金持ちで、会社をいくつも持ち、広大な敷地の大学も所有しながら、IBMでずっとSE(システムズ・エンジニア)をやっていました。
SEとしてもかなり優秀な方で(社内での格付けも最高になってたと思います)、多くの社内論文を書き、若い技術者からも尊敬の目で見られ人望も高い方でしたが、会社からのライン・マネージャー(管理職)にならないか?と言う打診に対しては常に断り続けて来ました。

ここで社内論文と書きましたが、一般にシステムズ・エンジニアリング(システム工学)関係の論文は、機密区分が高く、社外秘になる場合がよくあります。
こういった扱いは、別にIBMに限った事ではなく、システムズ・エンジニアリング関係の会社にはよく見られるパターンですが、IBMの場合はそう言った機密区分の高い論文や報告書を集めた専門の社内論文誌や社内書籍も発行されていました。

彼は、大金持ちでしたが、別に親の遺産があったわけではなく、若い頃はかなり貧しい暮らしをしていたそうです。
小さな頃からアルバイトをして生計を助け、高校時代はバーテンダーの仕事で学費を稼いでいたそうです。
一度彼の豪邸でカクテルをご馳走になった事があり、シェイカーさばきもなかなか美事なものでしたが、ご本人は、しかしながらアルコールをほとんど口にしなかった事が印象に残っています(敬虔なクリスチャンでした)。
Dさんは通常よりも長く兵役に就き、そして除隊後に軍から得た奨学金で大学を卒業しました。

そんな彼に、20代の筆者は、なぜラインマネージャーにならなかったのか訊いてみた事があります。
彼は、「自分にはマネジメントの能力がない」と答えました。
「では、なぜ、マネジメント能力がないのに、会社や大学の経営が出来るのか?」とさらに訊いてみると、彼は「自分は経営にほとんど関わっていない。自分に何か少しでも才能があるとすると、それはマネジメントの才能を発見する事かも知れない。」と静かに答えました。

彼は、良いマネジメントについてこう解説して(聡して)くれました。
100人の人間を集めて100人分の仕事をさせるのは凡庸なマネジメントであり、単なる搾取者である。
100人の人間を集めて150人分、200人分、場合によっては500人分の価値を生み出すのが真のマネジメントであり、逆に80人分のアウトプットしか出せないのは無能なマネジメントである、と。

低品質なATM機を使いながらハイ・アベラビリティ・サービスを提供したり、平均故障間隔の短い構成要素を使いながら、巧みな組み合わせや定期的な部品の交換、保守作業、事後対策などを工夫する事により、高い安全性を達成するのがシステムズ・エンジニアリングの醍醐味と言えます。

さて、優秀な人材を抱え、優れた技術、潤沢な資産を持ちながら80パーセントの結果しか出せない経営者は、まだご愛嬌の部類です。
自覚と才能があれば、今後の発展の可能性があります。

最悪なマネジメントは、全体感や統合感のないタイプで、IT分野でもたまにいますが、安全や品質のための多重化や多段化の冗長性が無駄の宝庫に映り、コスト削減の格好の狩猟場にしてしまい、己のわずかな手柄のために、安全性や品質を劇的に劣化させてしまう範疇です。
管見では、このタイプは類は友を呼びやすく、集団でかかってきますのでタチが悪いことこの上なしです。



Dさんに、当時のIBMの経営陣はどう思うか訊いた事があります。
彼の反応は先見性に富み大変興味深いものでしたが、今となっては言わぬが花でしょう。

2012年7月2日月曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 8

定泉寺の紫陽花
紫陽花の季節がやってきました。
紫陽花と言うと、筆者がすぐに思い出す和歌があります。
小野小町の、
花の色は 移りにけりな いたずらに
我が身よにふる ながめせしまに

と言う古今集の歌ですが、百人一首にも含まれ、読者の方々にも馴染み深い歌だと思います。
この歌は、教科書的には、花は桜を意味し、花を自分の容姿にたとえ、「ぼーっとむなしく物思いに耽っているうちに、すっかりおばさんになってしまったわ。」という女性の嘆き風に解釈されています。

 筆者は高校時代よりこの解釈が気に入らず、今から20年以上前に、わざわざ自説を述べるために「小野小町研究」というサイトを立ち上げたほどです。
当時はまだインターネットの黎明期でネットワーク機器は大変高価でしたが、幸い筆者はシリコンバレーのネットワーク・ベンチャーに勤務していたので、機器をそろえることだけは簡単に(廉価に)出来ました。
まだグーグルなどの検索サービスもなく、仲間内だけが見に来るサイトでしたが、なかなか結構好評でした(自己満足です)。

さてこの歌の意味ですが、筆者は花を桜ではなく紫陽花と解釈します。
そして、「花の色が移る」ことで、相手の心変わりを暗示し、「私がむなしく物思いに沈んでいる間に、あなたは簡単に心変わりしたのね」と相手を軽く批難する意味になります。
つまり、相手が調子に乗らないように、わざとネガティブなフィードバックを行なって(負帰還をかけて)、「僕のどこがいけなかったんだろう?」と反省を促し、相手の心をコントロールているわけです。

論拠としては、植物や気象の性質、そして美学上の問題があります。
まず、桜と言う花は、色が移る(衰える)よりも前に散ってしまう花、最も美しい盛りに散ってしまう花であり、おばさんを喩えるには不向きです。
また、「ながめ」は「眺む(物思いに耽る)」と「長雨」を掛けた言葉と解釈されますが、桜の花の季節は天候が荒れやすく、長雨というおとなしい降り方ではなく嵐になりやすいことは皆様よくご存知だと思います。
長雨は桜に似合いません。合うとすれば梅雨の紫陽花の方でしょう。
 さらに、古来、女性の美しさは、よく花に喩えられますが、自分で喩えてしまっては(強い女性を好む一部の男を除き)興ざめです。
これは平安時代の女性たちが持っていた’女の美学’にも反します。
そしてまた、筆者の解釈の方が「いたずらに」という言葉がより生きてきます。
「いたずらに」は前半の相手の簡単な心変わりをなじるユーモラスな意味と、後半のむなしい無常観の表現の両方にかかっています。

恐らく、小町の花を桜と誤って解釈した背景には、古今集編纂の頃のフォーマリズム(形式主義)を尊ぶ気風があったと思います(今に続く、花を条件反射的に桜に分類してしまう習性)。

心を花に喩える類例は、小町の他の歌にもあります。

見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける



前回は、抽象思考、システム思考の問題の話をしましたが、その続きです。

原発事故から一年以上経った今、原子力発電所システムそのもののチェックだけは行い、メルトダウン等の重大事故後の社会システム的な体制づくりは行なっていないようですが、これはある意味、非常に日本的な対応と言えます。
一言で言えば、アプローチが非常に分析的、分解的です。
「今回の事故の原因は、原子力発電所の脆弱性にあった。従って、発電所の堅牢性を上げよう。」と言うアプローチです。
このアプローチは、規模の小さいもの、安全性に対する影響が小さいものに対しては有効ですが、複雑度が高い、あるいは影響度が巨大なシステムに対しては不十分です。

簡単な例をあげて考えてみましょう。
平均故障間隔(MTBF)あるいは平均故障時間(MTTF)と言う言葉があります。
これは、どのぐらいの間隔で故障が発生するかを示す指標で、仮に平均故障間隔が100年と言うと、100年に一回の割で故障が発生する事を意味します。
一般的に言って、構造が簡単で熱や力の作用を受けないもの、例えば半導体回路などでは、長期の平均故障間隔、例えば100年以上、を達成する事は比較的容易ですが、モーターなどのように動きがあったり、ソフトウェアのように構造が複雑なものは、平均故障間隔をのばす事は極めて困難になって来ます。
一般的に言って、平均故障間隔 100年の機械を、単体で1000年にのばすには多大なコストと時間がかかります。
しかし、これを二重化すると 話はがらっと変わってきます。
平均故障間隔100年の2つの装置が同時に壊れない限り安全とし、壊れた装置の取り替えに1日を要するシステムを考えます。
すると、1年間で2つの装置が同時に壊れる確率は、
となり、平均故障間隔はこの逆数ですから365万年 ー つまり365万年に一度だけ2つ同時に壊れる事となります(簡略化のために他の因子を無視しています)。
実際のシステムは、もっと複雑なのでこれほど単純には伸びませんが、多重化、多段化の威力はお分かりになったかと思います。

設計時の平均故障間隔と言う観点で見れば、日本の原発は1000年に満たない短いものであった事は、このブログの1回目に指摘したとおりですが、その上、後段つまり事故発生後の対策が全く準備されていないと言うものでした。

巨大システムでは、品質や安全は分析的手法では不十分で、統合的、つまり品質や安全を作り上げて行く手法が必要となって行きます。

先に、原発問題のアプローチは、非常に日本的であると述べましたが、これに関しては次回触れたいと思います。

(続く)








2012年6月15日金曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 7

北鎌倉 東慶寺
モデリングに関して、一般の人に対して話す場合によく取り上げる話題の一つに、次のようなものがあります。

筆者は若い頃、アメリカの会社でアーキテクトをやっていた事があります。
誤解を避けるために念のために付け加えますと、別にアメリカで大工をやっていたわけではありません。ネットワークやソフトウェアのアーキテクチャを構築する仕事に従事しておりました。
職場にはいろんな人がいましたが、アメリカ社会全般の人口比に比べ開発部門にはアジア系の人間が多い事はよく知られていますが、ソフトウェア関係は特にその傾向が顕著でした。
そして、一口にアジア人と言っても筆者のような極東系は極めて少なく、中東系の人が中心をなしていました。
なおここで言う中東系は、世間一般の定義よりもやや狭く、西はイスラエルから東はインド辺りまでの地域にルーツを持つ人たちの事を指しています。
この人たちの特徴は、やたら抽象的な話を好む事で、哲学っぽい話が大好きでした。
 筆者の経験から言うと、ヨーロッパ人も(高等教育を受けた人は特に)抽象的な話が好きですが、高い抽象度を好む面においては、中東系の方がかなり上でした。
そして、同じヨーロッパでもイギリス辺りになると随分と具体的な話が好きになり、アメリカに行くと、さらに具体性を好む傾向が強い ー と言うよりも、具体性を好む人と抽象的な話を好む人が混在している状態 ー と言うのが筆者の印象です。
では、日本はどうかと言うと、中東とは真逆の対極に位置し、極めて具体的な事柄を好む傾向が強く、抽象的と言う言葉自体にネガティブな響きさえ込められる局面にたびたび出くわします。
この傾向は、一般の社会だけでなく、最も抽象的な話を好みそうな大学内でも同じ事が言えます。
欧米の大学はリベラルアーツ教育を重視しますが、そのルーツは古代のギリシャ哲学にあると言われています。
古代ギリシャの哲学者たちは形而上的なものを志向し、具体物ではなく概念(イデア)こそが真の存在、と考えるまでに至ります。
ギリシャのこのような抽象志向は中東 ー 特に古代バビロニアあたり(今のイラクの地域) ー からの影響だと、筆者はニラんでいますが(古代ギリシャ人は、自分たちの先祖は東方から移住して来たと信じていたようですし、ユダヤ人も自分たちの先祖はバビロニアのウルからやって来たと聖書にも書き残しています)、それはともかくとして、欧米の教育のバックボーンには哲学の伝統があり、哲学教育を通じて若者にコンセプチャル・シンキングやシステム・シンキング等の抽象的な思考(アブストラクト・シンキング)の訓練を行なって来た、と言えます。
一方日本は(少なくとも明治以降)、具体性のある「もの」への指向性が強く、システム屋から見るとシステム・シンキングの欠如と思える事象が数あまたあります。
また、「もの」とは一見遠いはずのソフトウェア産業においても同様の傾向があり、「もの」に近いプログラミングなどの実装技術には興味も強く技量的には世界水準にあると思いますが、より抽象度の高い分野やシステム・シンキングを要する分野に関しては、改善の余地が多々あります。



さて、昨年の原発事故以来、原発そのものの安全性に対する見直しなどは行なっているようですが、一方で昨年問題となった社会システムに対する対策がほとんど行なわれていないように見受けられます。
この夏は、再開する原発に経産省や電力会社から20名ほどの幹部の方が常駐するそうですが、まるで人柱を立てた宗教政治に戻ったかのようです。
また、原発事故は国家の安全保障のレベルの問題であるのに対し、自衛隊や警察からの核問題の専門家は参加されないようです。

宗教政治は冗談ですが、20名は今回の事故で最も信用を失った組織から出されるようで、それだけ住民の不信感が強い事を象徴しているようです。心理政治と言うべきでしょうか。





2012年6月8日金曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 6

高原の昼食
筆者の同世代の友人には、昔、アマチュア無線や電子工作が趣味だったと言う人が少なからずいます。
現在は、たいていは電気とは全く関係のない分野の仕事をしており、最新の電気通信技術の話は全く出来ませんが、昔の技術の話で結構盛り上がったりします。


筆者たちが過ごした少年時代は、今のようにパソコンなどがまだなく、小学生の知的好奇心を満たす玩具が限られ、勢いそっちの分野に走ってしまったのでした。
 筆者が小学生の頃は、トランジスタと真空管の端境期で、一応両方やったのですが、一月分のおこずかいでは、真空管やトランジスタがせいぜい1個買えるだけでした。
 従って小型のラジオ受信機を作ることが多かったのですが、微弱な電波を音を鳴るまでの電気信号に変えるのに増幅が必要なのですが、問題はトランジスタ1個だとせいぜい100倍程度の増幅率しか得られないため、複数のトランジスタを用いて多段に増幅する必要があったことでした。
例えば、増幅率が仮に100倍のトランジスタを2段に並べると、大雑把に言って 100×100=1万倍の増幅率が得られます。
しかし、そうするためにはトランジスタが2個必要になって予算をオーバーしてしまいます。
そんな時に1個のトランジスタで2個分の増幅率が得られる夢のような方法がありました。
これは一度トランジスタで増幅した信号を再度入力側に入れて同じトランジスタで2度増幅するやり方です。
このやり方は、いわゆる正帰還回路(Positive Feedback Circuit)の一種で、メリットは、少ない部品数で高い増幅率が得られる事ですが、反面、増幅率を上げれば上げるほど音が歪んで行き(情報の変形が起き)、あるポイントを超えて上げすぎてしまうと「ピー」という音とともに発振状態に陥ると言うデメリットがありました(発振直前が最高の感度を得られるポイントでした)。
この発振と言う現象は、イメージ的には、出力側の信号の一部を入力側に入れるために、それがソフトウェアの無限ループのような状況になり、単調な波形(発振音)を出すような感じです。
しかしながら、当時は音質は悪くとも安い値段でラジオ放送が受信できたので、それで十分満足しておりました。

組織間の正帰還ループ

巷間伝えられる所によりますと、今回の原発事故の背景には、電力業界とそれを本来チェックすべき側の行政の間に強い癒着があった事が問題としてあげられております。
電力会社が様々な形で影響力を行使し、チェックする側の人間に安全基準を下げさせたと伝えられております。
そして、電力会社がチェック側の人間に意図的に安全基準を下げさせ、なおかつ、その下げた安全基準で十分安全と信じていた形跡があるそうです。
これは一見すると不思議な現象で、極端に言うと、人に嘘をつかせ、その嘘を自分でも信じてしまったわけですが、人間の心理としては理解できます。
つまり、自分が信じたい事を人に語らせそして信じてしまったわけです。

これは、組織的に言うと、組織間に正帰還ループを形成してしまった状態となります。
これに対し、本来組織そのものが管理の対象となる行政側の上級管理者も東電の経営者も何らの対策も打ちませんでした。
まるで、組織リスクなど存在しないごとく、言わば一緒に発振してしまっている状態でした。
これでは、原発の管理だけではなく、原発を管理する組織の管理そのものにも強い疑念を持たざるを得ません。

筆者は最初に述べたように、日本は原子力技術の開発は続けるべきだと言う立場ですが、原発の安全管理の問題に加え、組織管理の問題に対しても強く憂慮する者です。

(続く)

2012年6月4日月曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 5

蓼科の桜の小道
昨日は、津波のリスクの放置に加え、直下型地震のリスクも放置のまま原発が稼働していた事に触れました。他にもいくらでもありますが、並べると切りがない状態です。
あまりの酷さに、正直唖然としています。

これらは個々別々の問題ではなく、畢竟、戦略と方法論の大失敗の一言に尽きます。

そして、さらに問題なのは、原子力行政を担う方々が、自分たちの問題と責任を全く理解していない点です。
自分たちの初歩的な失敗が、多くの人々の仕事と生活を吹き飛ばしただけではなく、自分たちの信用や業界の信用も吹き飛んでしまった事に、未だに気づいていません。


正直、国民の安全を売って自分たちの私服を肥やしたと罵倒されても仕方のない状態です。

しかしながら、当面は、彼らに強い軽蔑のまなざしを投げかける事ぐらいしか出来ないのは、残念です。

2012年6月3日日曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 4

旅と滞在 @蓼科
筆者はこのプロマネBlogを自分の気晴らしのために書いている事は、読者諸兄姉のご推察の通りです。
どうも生来、駄文を連ねて人に読んでもらう事で、精神的に安定が得られるタイプのようです。
言わば、平安時代の名随筆家、清少納言の同類と言えるでしょう。(冗談です。清少納言ファンの方、申し訳ありません。彼女が書いたのは駄文でもなければ、気晴らしのために書いたわけでもありません。)

しかしながら、原発事故を表題にしたあたりから、ブログを書く事がだんだん憂鬱になってきました。




 前回のブログで、重大リスクが見落とされた原因の究明が必要と書きましたが、これは失敗を振り返り失敗から学ぶ事が極めて重要だからだけではなく、リスクの見落としが戦略的、方法論的なミスであるからです。

しかし、それだけではありません。
たいへん言いにくい事なのですが、ミスの内容が、専門家が犯すミスとしてはあまりに初歩的すぎるからです。
これは、単に、今回の大津波のリスクを見逃した事だけを指している訳ではありません。

筆者自身、ちゃらんぽらんな人間であり、決して人様の仕事を批判できる人間ではない事は、重々承知しています。
しかしながら、問題の重要性から、自らの浅学非才を顧みず、批判する理由を以下に書いてみたいと思います。

筆者自身、地震の専門家では当然なく、地震について語れるとしたら、唯一の理由は、筆者が神戸出身で、肉親を含め、多くの友人知人が先の「阪神淡路大震災」を経験した事です。
日本の多くの原発は、断層帯またはその周辺に作られています。
意外に世間に知られてない事ですが、今回のような海洋型の地震と、阪神のような直下型地震では、揺れ方が随分と違います。
活断層に起因するような直下型地震は、海洋型に比べ地震のエネルギーが小さく、影響地域の範囲は限定的です。
しかしながら、震源がごく浅く近いため、震源の真上での揺れ方は極めて激烈です。

神戸市内の場合、東西に走る激震地帯を外れると、揺れのエネルギーが分散されて、一挙に被害は少なくなります。
筆者の両親の家は、激震地帯である東西の帯から北にそれたところにありますが、電気水道ガスなどのライフラインが止まり、家も激しく揺れて棚の上のものが落ちて、家の中はごちゃごちゃになりましたが、家屋自体には何の被害もありませんでした。
家の近隣周辺も同様で、家が壊れたと言う話はほとんど聞きません。
一方、直撃を受けた激震地帯の状況は全く異なります。
地面から突き上げてくる衝撃で、体重の軽い女性や子供は宙に跳ね上がり、まるでトランポリンに載っている状態だったと言います。
また、建造物も最初の一撃で逃げる間もなく崩壊したと聞きます。
多くの方が亡くなりましたが、早朝5時台の地震で火をあまり使わない時間帯であったにも関わらず、焼死した方が多いのも特徴的です。
これは、最初の衝撃で家が壊れて中に閉じ込められ、遠くの火元から火が伝わって来るのに時間があったにも関わらず、水道も止まり道路も車が通れる状態ではなくなったため火を消す手段がなく消防車も来れない状態で焼死されています。
肉親の助けを呼ぶ叫び声を火の中から聞きながら、なすすべなく立ちすくむだけだったと言う、地獄図絵のような話を聞いた事もあります。
筆者の中学時代に同級生カップルだった夫婦も、幼い子供を残し亡くなっています。
焼死だという話を聞いた事がありますが、詳しい話は聞いていません。
火事は、多くの場合、自然鎮火、つまり焼き尽してもう燃えるものが残ってない状態でおさまりました。
直下型の地震の恐さは、揺れそのもの(エネルギー)もさることながら、その衝撃力(時間微分したもの)です。
これは、同じ力でも、長い時間をかけて少しずつかかる場合と、短時間に一瞬でかかる場合では、破壊力が全く違う事から、想像が付くと思います。
阪神淡路大震災の場合、断層が地表に現れ地形が変わってしまった所もあります。
従って、原発に求められる耐久性も、揺れだけの場合と、衝撃力や地形の変化も加味した場合では全く違うと思います。

最近、原発の真下あるいは周辺で活断層が発見されたと言うニュースをよく聞くようになりました。
活断層が発見された事もニュースではありますが、もっと衝撃的な事は、今までそう言う調査がされていなかったと言う事実です。
筆者を含め多くの人は、「断層帯の上に原発があるんだから、当然、活断層の調査も徹底してやってるだろう」ぐらいに想像していたのではないでしょうか?


(続く)