2018年11月28日水曜日

SysML初級講座の更新とLuciferサイトへの移行作業完了のお知らせ

秋の日本庭園

SysML初級講座 「第21回 テキストからパラメトリック図への変換 ② 」をアップしました。



アクセスは→こちらまで。


また、過去のSysML初級講座の投稿は全てLuciferサイトの「SysML初級講座コース」へ移行しましたので、バックナンバーをご覧になる方は、そちらの方へアクセスしてください。

講座のアップ情報は、更新のつど、このプロマネBlogにてお知らせします。

追加情報:



更新チェックのためだけに、このプロマネBlogを見に来るのが面倒という方は、Luciferサイト https://lucifer.stratagenom.com/から次の方法で更新情報をメールで受け取ることができます(無料)。


  1. Luciferサイトでログインを選び「新しいアカウントを作成する」をクリックし、画面に従ってメール・アドレス等の情報を入力しアカウントを作成します。
  2. 作成した新規アカウントで、Luciferサイトにログインし、トップ画面の最下端にある「お知らせ」の横の「このフォーラムを購読」をクリックします。
これで、更新の通知をメールで受け取ることが可能です。

なお、作成されたアカウントは、ログインなどのアクセスが90日間以上ないと削除されることがあります。必要な場合は、再度作成してください。



2018年8月11日土曜日

グローバル化と英語 その7 日本の英語教育

自転車で30分ほどの場所にある池
先月あたりから、パソコン(古いMacBook Airを愛用)の調子が悪くなり始め、最初のうちは騙し騙し使っていましたが、そのうちに症状が悪化してゆき、今ではまったく立ち上がらなくなってしまいました。

文字入力だけなら、どこからでも入力できるので別のパソコンから書いていますが、SysML図を書く描画はこのMacに導入してあるツールに慣れ切ってしまっており、このMacの運命が決定するまで、SysML講座は中断してしばらくは他のことを書いて行きたいと思います。
現在、故障の原因かも知れないと思われる部品(内臓キーボード)を、米国や中国のサイトで探しまわり、ようやく中古部品を見つけて取り寄せ中ですが結構時間がかかりそうです。
部品交換で治ることを期待していますが、症状から見て、あまり楽観できない状態です。

と言うわけで、SysML図が不要な話題として、本日は英語の話を書いて見たいと思います。
日本人が一般的に言って英語が苦手であることは日本人自身だけでなく、アメリカ人にも広く知れ渡っている観があります ー 別段難しい話ではなく、日本人と接したことのあるアメリカ人なら恐らく最初の数秒でその不得意さに気が付くでしょう。 
以前に紹介した世界の英語話者の推計数20億人には、その推計方法を見てみると日本人の英語話者の数がまったく含まれていませんが、推計した人は、きっと日本には全体の推計値に影響を与えるほどの数の英語話者はいないと踏んだのでしょう。

筆者は英語教育について語る資格などまったくありませんが、個人的な経験を通じて思うところを書いてみたいと思います。
外国語学習は、母語に似ている言語、同一の語族(英語はインドーヨーロッパ語族であり、アルタイ諸語である日本語とは系統がまったく異なります)に属する言語ほど上達が早いとよく言われており、それは母語の発音や語彙、文法知識が外国語学習に利用可能であるからであって、日本語話者にとって英語は関係性が極めて隔絶して遠く母語の知識がほとんど利用できないために、学習に非常に時間がかかります。(逆も真であって、英語話者にとって、日本語はアラビア語などと並んで会話能力の習得に最も時間がかかる言語(最難関言語)とみなされているようです(米国外交官養成局(FSI)の資料)。
この最難関という判定は、会話能力の習得に必要な時間だけの比較であって、日本語の漢字などの読み書き能力を獲得するにはさらに長大な時間を要するであろうことは容易に想像できます。
しかしながら、日本と同様に英語と言語距離が遠い他の東アジア出身の留学生と比べても、日本人学生の英語は飛び抜けて出来が悪いように思えます。
これは、よく言われる英会話能力だけでなく、読み書きの能力も含めて大きな落差を感じます。
特に英作文能力に隔絶した差があるように思えますが、英文の理解能力(英文を英文として翻訳せずそのまま理解する能力)も差があり、日本学生が優れているのは理解した英文を日本文に変換する(翻訳する)能力と実用的でない ーすなわち会話にも英作文にも使えないー 英語知識に限定されるような気がします。
日本の学生が、日本文への翻訳が卓越して上手いというのは、英語力が卓越していると言うよりも日本語ネイティブである事の要素がはるかに効いているからでしょう。
恐らく、英会話能力と、英作文能力や英文理解能力に極めて強い密接な(相互依存的な)関係があるからではないかと推察します。

多くの東アジアの学生も学校教育を通じて英語を学んできており、日常生活で英語が必要な環境に育ったわけでもないのに、日本のいわゆる受験エリートの学生よりも英語がかなりよくできます。

個人的な経験を言うと、筆者の世代は、灘高であろうが開成出身であろうが、どんな受験エリートであっても、中学ー高校と英語学習にそれなりに時間をかけたにも関わらず、大学入学時点での英語はかなりひどい状態でした。(入学後 ーそして往々にして卒業後ー 必要に駆られて英語を初歩から再学習する羽目に陥ります。ただし、ごく一部の帰国子女や語学オタなどの例外は別です)。

他国の学生も日本の受験エリートも、基本的に学校の評価基準に沿って語学の学習を進めて行く所は共通しています。
これは、自分勝手な評価基準で進めると、途中で中間基準を満たすことができなくなって落第したりするからです。
そして、日本の評価基準(ペーパーテスト等)で最高レベルの点数を取ったグループ ー 受験オタ もとい受験エリート ー が、大学入学後に、英語力において悲惨な状況を呈するのは、筆者は、日本人に英語の才能が根本的に欠けているからではなく、評価基準そのものの方に重大な欠陥があるからではないか、と強い疑惑の念を抱いております。

筆者は、CBT(Computer Based Test)の試験問題の作成などを通して、ある程度ペーパーテストやCBTの利点、問題点などを経験することがありました。
ペーパーテストやCBTも他の評価基準と同様、評点と実践能力の間に強い直線的な相関関係があることを理想とすることは共通しています。
英語で言えば、英語でバリバリ仕事や勉学で成果をあげる人が、高得点を取るような英語テストが理想的です。(逆もしかりで、高得点を取った人が英語を実践的に使えると言う条件も満たす事が求められます。)

このような試験問題を作成するには、ある程度の統計的処理が必要ですが、語学分野は、強い制約条件付きながらある程度まではCBTでも実現が可能であるとみなされてきています。

これには、問題ごとに追跡調査を行い、高い実績をあげる人が高い正解率を取るような出題を残し、相関関係の薄い出題や逆相関の問題を削除して行って、新規の問題と入れ替えていく作業が必要となります(問題は受験生を通して外部へ流出していくリスクを常に抱えており、常に同程度の難易度を維持しながら更新されていく必要があります)。
AI技術などが取り入れられていない従来型のCBTでは、英文理解力やヒアリング能力のテストは行えますが、英作文や発音のテストは実現困難で通常は含まれていません。
この問題は、人間本来の能力の間には強い相関関係を呈示する分野があり、CBTでは、その相関関係を積極的に利用して構成しています。
例えば、発音能力とヒアリング能力の間には、あるレベルまでは、強い相関関係があり、ヒアリング能力が高い人は概して発音も正しい傾向があるということで、発音のテストを省略しても、ある程度までは有効な指標であると看做されます。
人間は構造上、自分の発音を自分の耳で聞いて、その良否を聞き分けて自分の発音を修正する機能が、元々備わっています。
同様にして、英作文能力や語彙力は、あるレベルまでは読書量との相関関係が強く、その読書量は英文理解力と強く相関しており、英文理解力のテストだけで、ある所まではそれらの能力を測定することが可能であると考えられています。

しかしながら、発音や英作文能力を重要視する分野では、CBT以外のテストを計画する必要がありますが、その場合でもCBTが無駄にはならず補完的なテストとして有効な測定方法になりえます。

CBTに関しては、高度な実績を上げるために必要な自主性、創造性、忍耐力等々の行動科学的特性等がまったく評価できないない等の問題がありますが(ペーパーテストもほぼ同様の欠点があります)、少なくとも実績を上げるための必要条件を満たしているかを測定することは可能であると考えられてきています。
テストが十分条件でないことは、むしろ自明でしょう 。CBTやペーパーテストに限らず、テストというのは、人間と言う複雑な存在の持つ複雑な能力のある一側面を測定した結果に過ぎません。
つまり、英語である程度の高評価を得た日本人学生の大部分が、英語をまったく実用的に使えないと言う問題は、日本人学生の能力が、これらの各能力間に通常、人種や文化を超えて見られる相関関係を超越した型破りのパターンを示している、と言うわけではなく、評価基準の方に重大な欠陥があると筆者は考えます。
例えば、大学入試の英語の試験をSATのそれに置き換えただけで、受験生はより実用的な恩恵をこうむることができると思います。(当然、教育課程もそれに沿った形に修正する必要がありますが。)

と、ここまで書いてきましたが、 日本の英語教育が実用性を著しく欠くことは、別にCBTを持ち出さなくとも、相当古くから言われており、かつ強く実証されてきたことです。
少なくとも筆者が子供時代には既に言われていましたし、おそらく、日本中を米兵が闊歩していた昭和20年代には判っていたと思います。

根本的な問題は、日本社会が豊かになり国際化が浸透して来た時代になっても、それを改めようともせず放置してきたことの方でしょう。
この問題は、一種の教育のガラパゴス化の問題であり(英語力に関する日本固有の評価基準など)、そして、その原因が日本人の英語力の低さであり、かつ結果であるという点が、長年に渡る英語教育の停滞を象徴しています(英語における低学力の再生産サイクル)。
普通に考えると、ガラパゴス化と言うのは、外部からの情報が遮断された環境下で起こりやすく、そう言う意味では、外国語教育はガラパゴス化が最も起こりにくい分野だと思われがちであり、案外な思いがします。

2018年7月2日月曜日

グローバル化と英語 その6

葵祭
前回のブログでは、「グローバル化は、我々、非英語圏に属する国々にとっては、対応さえ適切であれば、決して悲観的に感じる必要はない事態」であると書きましたが、確かに対応は容易ですが(世界的な時代の潮流に乗るだけですので)、そこには大きなリスクが潜んでいることも認識しておく必要があるのは確かです。
特に日本の場合、現状を見ると、リスクは極めて高いと言わざるをえません。

そのリスクとは「母語の喪失」のリスクです。
ヘレニズム世界でも、ギリシャ語の共通語化の陰で、消えてしまった言語も多くあると言われています。

日本人は、伝統や文化を愛する気持ちが人一倍強いと言われており、各地でその保護活動が盛んにおこなわれて来ていますが、その一方で、伝統文化に対する破壊活動を強力に推し進めている勢力が存在するのも事実です。
ここ数十年間で、多くの地方から方言が消滅して来ており、また方言ではなく別系統の言語ですが、アイヌ語の母語話者も激減して来ていると聞きます。
ユネスコの消滅の危機に瀕している言語のリストによれば、

極めて深刻であるもの: アイヌ語
重大な危機: 八重山語(八重山方言)、与那国語(与那国方言)
などが挙げられ、続いて危機に瀕している言語として、沖縄語(沖縄方言)や八丈語などの島嶼部の言葉(方言)が並びます。

この問題は実は周辺の島々だけではなく、本州でさえもまともに言葉が残っているのは関西の一部地域だけであり、地方だけではなく、首都直下の江戸の江戸弁も聞かなくなってしまいました。
筆者は関西生まれですが江戸の落語は好きで、若い頃から関西弁には全くない、軽妙で洒脱、いなせで都会的な江戸弁の語り口は、羨ましく、大好きでしたが、最近はほとんど聞けなくなってしまいました。
江戸の落語家も、標準語なまりの、ー そんな言葉がなければ、標準語くさい ー 語り口になってしまい、江戸の放送局も、ニュースだけならまだしも、芸能番組もモールス信号のような文化不毛の標準言語で交信しているだけです。

言うまでもないですが言語は最も基本的な伝統であり文化です。
歴史的に見ても、その言葉が喋れなくなって、その民族がなくなった例は山ほどあります。
ヘレニズム世界において、言語を失った民族の多くは、その後の歴史の中で、アイデンティティも消滅しています。

現代日本に渦巻く、標準語の蔓延 ー すなわち言語文化の軽視・無視は、最終的には、英語が便利だからと簡単に日本語を捨ててしまう風潮を生み出す要因につながります。

アメリカ史を見ても、欧州からさまざまな民族が流入し、かつては英語以外にも仏語、独語等々いくつもの言語が喋られていたことがわかりますが、建国の過程で、多くは実用的な理由で、英語以外の言語が捨てられてしまい、同時にそれらのアイデンティティーも失ってしまいました。

2018年6月30日土曜日

10分の1の法則 その1

あこがれのIBM PC
Photo By Ruben de Rijcke - http://dendmedia.com/vintage/
   筆者が1980年代にIBMに入社した頃は、会社は既にコンピュータ業界の巨人としてその独占的地位を確立していましたが、その製品力は、一人のプロダクト・マネージャの立場で内部から見た場合、そのピークはとうに過ぎてしまっていて、完全に営業力、特にSEの力で売っている状況に映りました。


プロセッサー装置(パソコンで言うCPU部分)の競争力はともかくとして、通信機器や印刷装置(プリンター)などの周辺装置などは、徐々に競合ベンダーにシェアを奪われつつあり、その中で最も手ごわい強敵が富士通や日立と言った日本の互換機(IBM機のソフトがそのまま動く機械)ベンダーでした。

当時、開発部門の古参の人に聞いた話では、IBMは元々機械式の会計機のメーカーだったので、プロセッサーなどの電気製品はともかくとして、ギアとかカム、シャフトと言った機械装置の製造技術には定評があり、例えばIBM製のタイプライターと言えば泣く子も黙るほどの風格と権威があり、重要な契約書は必ずIBM製タイプライターで打つと言われたほど、その印字の美しさと信用力は際立っていたそうです。
そして、プリンターもその印字品質、印刷速度とも機械式の時代にはトップに君臨していたのですが、電子式の時代の到来とともに、徐々に凋落の道をたどることになります。

通信機器分野では、各国の個々の通信事情への対応が信じられないほどに遅く、売れるとか売れない以前に、つながる・つながらないのレベル、あるいは通信コストが、高いとか安いとか言うオーダーを遥かに超越した存在、等の理由で、同じように凋落の途次にありました(厄介なことに、本部はその事実さえも最後まで認めようとしませんでしたが)。

最大の原因は、やはり、上述の通信分野に端的に示されるように、社内のあらゆる分野に蔓延していた官僚主義、大企業病と言うやつで、のちにアメリカ市場最大の赤字を出した時は(確か90年ごろ)、巨体の割に脳みそが3グラムしかない恐竜に喩えられ揶揄されていました。
後年、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが当時のIBMの経営者を、「スマートで雄弁な素晴らしいセールスマン、しかし、自分の製品のことは何も知らない。」と評していましたが、ジョブス氏が、いかなる意味でそう表現したのかよく知りませんが、個人的には彼の評価に妙に納得していました。
筆者の目には、当時の経営者は、製品を単に数字でしか見ておらず、そして、その姿勢がマネジメント全体に蔓延しているように映りました。

しかしながら、IBMが最初からこのような状況だったわけではなく、先ほどの古参の人によると彼が入社した60年代の頃のIBMの開発部門はテクニカル・バイタリティーに溢れ雰囲気は随分と違っていたそうです。

IBMのコンピュータ揺籃期


そのころは、開発エンジニアが、社長であるトーマス・ワトソンJr.へ自分のアイディアを売り込みに行き、社長が気に入れば、ポンと開発費を出すと言うスタイルがむしろ常態だったようで、その結果、社内には機能や位置付けが重複し合う開発プロジェクトがいくつも乱立していました。
そして、開発が終わってもすぐには製品として売り出されるとは限らず、社内で内部ツールとして使いながら競争させ、勝ち残ったものだけを外部に製品として売っていたようで、大体のところ10あるうちの1つぐらいしか商品として世に出なかったようです。
開発期間中よりも、むしろこの社内ツールとして使っている期間が、製品を育てる、円熟させる上で非常に重要だったようで、一旦、社内競争で敗れ商品化されなかったものが社内ツールとして使われ続け改良を加えられた結果、再度社内競争に挑み商品化され、一旦社内競争で敗れた先行製品を遥かに凌ぐ営業成績を上げる、といった事態も珍しくありませんでした。
開発拠点も米国内だけではなく、海外にも増え始めた結果、開発拠点間の競合も激しく、重複する分野・製品群を巡ってしのぎを削っており、この社内競争の激しさが会社の製品力の向上の源となっていました。




2018年5月5日土曜日

グローバル化と英語 その5

パルテノン神殿
 前回は、ITやIT関連分野では英語が事実上の共通語になってきていると書きましたが、このような状況は、我々、非英語圏に属する国々にとっては、対応さえ適切であれば、決して悲観的に感じる必要はない事態だと考えます。
その根拠は、ある意味、過去の歴史です。
日本の過去のグローバル化、共通語、リンガ・フランカの経験は、漢字文化圏との遭遇だけであり、そして、人間同士の交流は極めて限定的で、かつ文字によるコミュニケーション、読み書きが中心でしたが、世界史的には、より強力で広範囲なグローバル化が何度か発生しています。

例を見て見ましょう。これは、現在のヨーロッパ文明に最も根源的な影響を与えたと言われている事例です。

新約聖書は最初何語で書かれたか?

キリスト教の旧約聖書の原典はユダヤ人の使うヘブライ語で書かれていたことはよく知られていますが、新約聖書の原書はいったい何語で書かれていたでしょうか?
キリスト教の始まった頃、イエス自身やその周りの信者たちは、ほとんどがユダヤ人であり、ヘブライ語やヘブライ語の後継言語であるアラム語(ヘブライ語との差は方言程度)をしゃべっていたと思われます。
また彼らが居住する土地、パレスチナ、カナンは当時ローマ帝国の支配下にありました。
したがって、新約聖書は、彼らが日常的に会話で使っているアラム語あるいはヘブライ語、もしくはローマ帝国の公用語であるラテン語で書かれていたと思われがちですが、実際は違いました。
実際の最初の新約聖書はギリシャ語で書かれていました。

ヘレニズム世界

紀元前4世紀、ギリシャ人が建国したマケドニア王国の王、アレクサンダー大王がギリシャを始めとして、小アジアやエジプトからイラク、イランの領域(すべて地名は現代の名称で表記)などを極めて短期間のうちに征服し、いわゆるアレクサンダー大王帝国を樹立しました。
この帝国内には、イスラエルの地域も含まれます。(下図参照)
The Empire of the Alexander the Great
この領域はヘレニズム世界と呼ばれ、様々な系統の様々な言語が話されていましたが、支配者層はギリシャ人達であり、帝国内の住民は都市部を中心として、各自の母国語と同時にギリシャ語も話すことができる二言語話者(バイリンガル)へ移行してゆき、ギリシャ語話者である事の特権性はバイリンガル話者の増加に伴って急速に薄れてゆきました。
キリスト教の誕生した頃は、アレクサンダー帝国はローマ帝国によって滅ぼされていましたが、ギリシャ語が共通語である状態は引き続き続いており、多くのユダヤ人達はアラム語(ヘブライ語)とギリシャ語の二言語話者(バイリンガル)でした。
そして、ついでに言うと、新約聖書がギリシャ語で書かれたことにより、最初期にはユダヤ人たちの民族宗教であったキリスト教は、ヘレニズム世界へ広がり世界宗教への道を進むこととなります。

同じような事情が、現在の英語の共通語化にも当てはまります。
英語が共通語になることにより、英語話者(English Speaker) は特権的な地位を得ますが、同時に英語話せる二言語話者(バイリンガル)も大量に生み出し、特権性は急速に失われてゆきます。

数え方にもよりますが、今現在、英語話者は世界に約20億人いると言われていますが、そのうち英語を母国語として話すネイティブ・スピーカーは英米を中心に約4億人だけであり、残りの16億人は英語と英語以外の母国語も話すバイリンガル(もしくはそれ以上の多言語話者)と推計されています(資料によって数字は異なりますが、ネイティブの数を大幅に上回るノン・ネイティブの存在を示す点は、どの資料も共通です)。
もちろん、英文学などネイティブ・スピーカーがノン・ネイティブに対して圧倒的に有利な分野は存在しますが、少なくとも科学技術分野においては、英語話者が有利であるものは、同時に二言語話者にとっても有利であって、ネイティブであることの優越性はほとんど存在しません。
第2次大戦終了後あたりから、各国は母国語に加え英語も話せるバイリンガル化を積極的に進めており、それがネイティブ・スピーカーを遥かに上回るノン・ネイティブ・スピーカーの数を生んでいます。

これが、今回のブログのはじめに、『対応さえ適切であれば、決して悲観的に感じる必要はない事態』と書いた根拠です。











2018年5月2日水曜日

グローバル化と英語 その4

ヘブライ文字
筆者が40年ほど前、大学の2年生になった頃、専門課程を選ぶ際に、情報科学科と言う、怪しげな、それでいて、どこかカッコ良さげな名前の学科を何となく選んで進学したのですが、どうやらコンピュータ関係の学科だと気が付いたのは進学して数ヶ月経った後でした(何かの試験前、苦笑)。

 これは、たまに学校に顔を出しても数学や物理みたいな授業ばかりやっている印象が強く、また「情報」と言う文字をまったく別の意味で捉えていたために起こった悲劇(?)でした。
したがって、ITを「イット」を読んでしまうIT音痴の人や、学科名のカッコ良さだけで進学先を選ぶ学生を批判する資格は筆者には全くありません。

現代のリンガ・フランカ


さて、IT分野では英語が共通語、リンガ・フランカになって久しいですが、この傾向は40年前から既にありました。
何か新しい話題を調べようとすると、英語の文献に当たるしかなく、いわば、戦前の医学生がドイツ語で書かれた医学書を勉強していた状況に近いものがありました。(インターネットや自動翻訳ソフトがまだない頃で、紙もの中心の戦前の勉強スタイルに近いものがありました。)
と言っても、英語の専門書は、難しいのは特殊な単語と概念くらいであって、これは英語で書かれているから難しいと言う性質のものではなく、英文そのものは中学生レベルのいたって簡単な文章が中心で、要は慣れの問題でした。

その当時は、主要な国々ではコンピュータ・サイエンス系分野を自国語で教育しており、例えばフランス人はフランス語でITを勉強している、と言った状況で、それで何ら不都合は無く、のんびりした時代でした。

しかしながら、2000年前後あたりから、世界的に、”ITは英語で勉強するもの” と言う風潮が広がり始め、かつて母国語に強く執着していたフランスやロシアと言った国々もあっさりと英語の軍門に下ってしまいます。
米国外の大学でITを教えていると言うアメリカ人から数年前に聞いた話ですが、彼の知る範囲では、自国語でITを勉強しているのは日本と韓国だけと言う状況でした。
それから月日は流れ、今現在の韓国の状況はよく知りませんが、(一説によれば、と言うよりも、よく聞く話によれば、ITでは韓国は日本よりはるか上を行っているらしい)、日本の昨今のITの状況は、ガラパゴス状態をさらに超えて進化が進み、完全に絶滅危惧の状況にあると言えます。

この英語の浸食状況は、単にIT産業だけではなく、IT技術、特にソフトウェア技術、をよく使う産業分野にも影響が波及してきており、宇宙航空産業や自動車産業などのシステム・エンジニアリング分野も事実上、英語圏になってしまっており、エンジニア達は英語のコミュニケーションを強いられる過酷な(?)状況になっています。

2018年4月28日土曜日

纏向遺跡にて その4 謎の5世紀

謎の5世紀
  雄略天皇の時代

前回のブログで、稲荷山鉄剣の銘文では、乎獲居臣(をわけのおみ)の時代から、尊称など(具体的には、臣(おみ)、大王(おおきみ)、宮(みや)など)の和訓が始まっていると書きましたが、この「をわけのおみ」が仕えていたとされる雄略天皇の治世には様々な変化が起こっています。

文章遺物 (金石文、木簡、紙)の状況


雄略期(5世紀後半)とその前後の時代の文章表現を示す遺物としては、稲荷山鉄剣以外にもいくつかの金石文が残されています。

紙モノの資料が残るのは、残念ながら、ずっと後の、古事記や萬葉集(8世紀初めごろ 奈良時代)からです。

では、木簡・竹簡のたぐいはどうか? と言うと発見状況は悪く、現在発見されて残っているものは、最も古いものでも7世紀中葉、飛鳥時代、蘇我氏などが活躍していた時代のもので、それ以前の古いものは発見されていません。
数としては数十万点の木簡が発見されていますが、飛鳥、奈良から平安時代までの物が大部分で、内容は地方からの白米や鯛などの貢進物につけられた付札や帳簿と言ったたぐいの物が多く、すでに和訓だらけで、貴族階級だけでなく庶民階級にも和訓混じりの漢文の習慣が広まってしまっていることを示しています。
また、万葉仮名で書かれた和歌も見つかっています。

ちなみに、7世紀、飛鳥時代の固有名詞の表記は、例えば「県犬養三千代(あがた いぬかいの みちよ)」と言った感じで、現代でもいそうなナウい(死語失礼)和訓まみれの人名表記になってしまっており、「獲加多支鹵」とか「乎獲居」と言った風情のある表記はすっかり時代遅れになってしまっていたようです。(5世紀と7世紀の200年ばかりの間に名前の流行はすっかり変わってしまっています。)

5世紀前後の金石文

日本に残る5世紀前後に日本に残っている金石文を古い方から順に見てみましょう。
  • 七支刀 4世紀ごろ  
    • 奈良県の石上神宮に伝世
    • 百済で作られ倭に渡ったもので銘文には和訓はまったく含まれません。

  • 稲荷台1号墳出土の王賜銘鉄剣 千葉県 5世紀中頃か?(紀年なし)
    • 銘文は「王賜□□敬□ (安)此廷□□□□ 」(□は判読できない文字)だけで、極めて短く類型的な(決まり文句的な)表現であり、和訓はなく純粋な漢文として読めます。

  • 江田船山古墳出土の銀錯銘大刀 熊本県 5世紀中頃 
    • これは、先に紹介した稲荷山鉄剣(群馬県出土)と同時期のもので、「獲加多支鹵」などの人名表現があり、日本固有の名詞部分は表音表記で、役職名は和訓という表現様式は稲荷山鉄剣とまったく同じです。固有名詞以外はそのまま漢文として読めます。

  • 隅田八幡神社人物画像鏡 和歌山県 5〜6世紀 年代には有力な説が2つあります。
    • 1つ目の説は443年(5世紀中葉)で、雄略天皇が即位する約14年前で、もう一つはその60年後の503年(6世紀)です。
    • 鏡の銘文には和訓表現として、大王(おおきみ)、意柴沙加(おしさかのみや)、開中費(かわちのあたい)の3つが含まれており、稲荷山鉄剣や上記の江田船山古墳と同じ表現パターンです。ちなみに443年説では、「意柴沙加」は、雄略天皇の母親である皇后・忍坂大中姫を指す説が有力です。

  • 岡田山1号墳出土の大刀 島根県 古墳時代後期、6世紀?(紀年なし)
    • 出土後の保存状態が悪く、多くの文字が読めなくなっていますが、「額田部臣(ぬかたべのおみ)」と読める和訓部分が残っており、役職の「臣」だけでなく名前全部(氏名(うじめい)とカバネ(姓))が訓読みになっています。

  • 箕谷2号墳出土の鉄刀 兵庫県 7世紀(西暦608年)飛鳥時代 推古天皇の頃
    • 「戊辰年五月□」と言う年紀だけが読めるもので、和訓の普及の度合いを示す資料にはなりません。
また5世紀の日本の状況を示す中国側の資料では、いわゆる倭の五王の時代であり、413年〜478年の間に、讃、珍、済、興、武と名乗る謎の倭王5人が少なくとも12回中国に朝貢していますが、いずれも中国風の偽名であり、どこの誰を指すのか判然としません
日本側の上表文にも和訓は書かれず、中国側の資料にも登場せず純粋な漢文のみで交際していたようです。
以上のことから、現存する文章遺物を時間順に追っていくと、
  1. 5世紀中頃に和訓が登場してきている。初期の和訓は、大王、宮、臣、直などの王号、宮号、カバネ(臣、直)などに限られる。
  2. 6世紀には、カバネだけでなく氏(ウジ)も訓読みされる例が登場。Ex. 額田部臣
  3. 7世紀には、万葉仮名や名前までも訓読みされる例が登場。 Ex. 県犬養三千代
  4. 8世紀には、古事記や萬葉集が作られる。音訓が入り乱れ、何でもありの状況
と言う流れが浮き上がってきます。

2018年4月8日日曜日

纏向遺跡にて その3

日本語の現在の表記法、和訓の交雑はいつ始まったか?

日本語の表記法はかなり特殊な部類に属することは前回述べましたが、この表記システムはいつ頃出来たのでしょうか?
萬葉集や古事記の頃(8世紀、奈良時代)には、すでに現代に続く和訓は確実に存在していますが、それ以前の状況はかなり情報が限られてきます。
中国側の記録を見ると、遅くとも後漢の時代 ー 紀元1世紀ごろ ー、には倭人は中国人と朝鮮半島上で接触しており、ある程度中国語での会話が可能な倭人が文字情報(漢字)に接した直後あたりから各自バラバラに和訓を作り始め、年月をかけて、倭人同士で相通ずる程度(言葉と読んで良い程度)にまで統一されて行ったのだと想像します。

古事記以前の状況

古事記以前の和訓の作成過程を明確に示す文献は存在しませんが、たまに発見される考古学的資料、金石文から、その間の消息を想像することは出来ます。
稲荷山鉄剣は、5世紀後期(西暦471年 雄略天皇のころ)に作られたと言われておりますが、当時の日本人によって記されたと思われる漢文が銘文として残っています。
辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比  
 其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也
 この墓碑銘と思われる銘文には、被葬者と思われる乎獲居臣(をわけのおみ)と、その先祖の名前が列記されており、以下に示します。

先祖名    読み     尊称部分    
意富比垝   おほひこ      彦         
多加利足尼  たかりすくね  宿禰
弖已加利獲居 てよかりわけ  
多加披次獲居 たかひしわけ  別
多沙鬼獲居  たさきわけ   別
半弖比    はてひ     なし
加差披余   かさひよ    なし
乎獲居   をわけのおみ  臣


ここで注目するところは固有名詞である名前の表記の仕方であり、乎獲居臣より以前の先祖名はすべて、やまと言葉に漢字の音のみ当てているのに対し、乎獲居臣に到って初めて名前の一部に訓読みである臣(おみ)を当てています。(より正確には、当時はなんと訓んでいたのか確認する方法がなく、はっきりしたことが言えませんが、明らかに名前の構成法が乎獲居臣の代に変わっており、後世の訓読みにつながる構成になっています。)

また、その他のやまと言葉と思われる固有名詞として、獲加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)、斯鬼(しきのみや)の二語があり、ともに訓読みしたと思われます。
そして、固有名詞部分以外は、和訓は無く、すべて漢文で読めます。

つまり、遅くとも紀元1世紀、後漢のころに漢字は日本に伝わり、5世紀までは、日本語を書き表す場合はすべて漢字は表音記号として用い、乎獲居臣の時代には、役職名と宮殿名に関しては和訓が始まっていた事を示す実例と考えられます。
また、漢字を純粋に表音記号として用いていた時代には、悪字、好字には無頓着であったこともわかります。

続く

2018年3月13日火曜日

纏向遺跡にて その2  <漢字と日本語について>

邪馬台国への道

魏志倭人伝


邪馬台国の話題になると、その唯一の記録文書である所謂「魏志倭人伝」を当たる必要があります。
しかしながら、この文書は読み手の立ち位置(視点、目的、意図)により解釈が多岐にわたることが知られています。
したがって、筆者の立ち位置に触れておいた方が良いでしょう。

ちなみに、この現象に似たような情報の変形はシステムモデルなどにもよく現れ、同一のシステムに対し、その視点«viewpoint»が異なればシステムの見え方«view»も大きく異なります。
例えば、原子力発電システムは、経済的観点から見たモデル、業務的・オペレーション的な観点、あるいは品質管理的観点から見た場合では、見え方、モデルは全く異なり、また安全保障的観点から見るとまた全く別のモデルが現れます。

日本語システムの特殊性


今から30年ほど前のことですが、筆者はアメリカと日本の間を頻繁に往来する時期がありました。
その頃、アメリカの出張先で、仕事上はあまり直接的な関係はなかったものの、よく顔を合わすアメリカ人エンジニア、Bさんがおりました。
彼は、筆者が日本から来ているのを誰かから聞いていたらしく、日本語で話しかけて来ました。
職場には日本語を話す人が他におらず、Bさんは筆者にとっては唯一の日本語での会話が可能な人でした。
彼はMITかどこかアメリカ東部の有名大学の卒業生で、そこで日本語を第二外国語として勉強したそうです。(第一外国語は確かスペイン語だったと思いますが、フランス語だったかもしれません。いずれにせよ、Bさんは両方とも喋れたようです。)
彼の日本語は大変流暢で外国人が話す日本語としては申し分の無いレベルに達していたと思いますが、本人は「まだまだ、」と謙遜していました。

そんなBさんと日本語の特性について話をしたことがあります。
Bさんは学生時代、日本語を勉強し始めて2年ほど経った時、友人たちと一緒に日本に遊びに来たことがあったそうです。
その時点で彼は大学の授業で日本語の日常会話は大体マスターしたと自負しており、辞書さえあれば旅行レベルでの会話には困ることはないだろうと思っていたそうです。
実際問題として、彼が大学で取った第一外国語では、その語圏への旅行では、日常会話と辞書で十分なんとかなったそうです。
来日の際、彼が空港に降り立ちホテルに着くまでは何の問題もなかったのですが、街に一歩出た途端に予想外の困難に遭遇してしまったそうです。

街で出くわす漢字は、彼の知る範囲をはるかに超えていたので、さっそく持参して来た辞書を引こうとしたのですが、和英辞典も国語辞典もその漢字の読み方が分かっていないので引けず、今度は漢和辞典を用いて漢字を引いても読み方が漢音ではどう発音するとか、呉音ではどう、訓読みではどう、とか書いているだけで、熟語例も漢籍から取られた用法が圧倒的で、とても現代日本語を引けないものでした。

この状態は30年後の今もさほど変わっておらず、手元の漢和辞典を見ても基本的に漢文学習者むきに作られており、和英辞典も国語辞典も基本的に読みからしか索けません。
科学技術の進歩の結果、今現在可能性がある方法としては、AI技術を使った文字認識などが考えられますが、決してハンディな方法にはまだなっていません。

Bさんは、都会の真ん中で辞書が全く使えず、文字どおり完全に文盲になってしまい、そして、この体験は彼の初めての来日の強烈な思い出の一つになったようです。
この日本語の表記システムの特性は、日本人自身にとってはさほど大きな問題とは感じられないかもしれませんが、海外の日本語学習者にとっては最大の障害(の一つ)になっているようです。
Bさんによれば、同じ漢字文化圏にある中国語や韓国語(朝鮮語)と比較しても日本語の表記システムのこの特性は際立っており、中国語では漢字は表意文字であると同時に表音文字としても機能しており、基本的に一字ー音であって字づらだけを見て辞書を索くことが可能であり、韓国語に至っては15世紀以降、表記に表音文字(ハングル文字)を採用し、大抵の場合辞書は音だけで検索可能です。
この困難は、例えて言えば、現代日本人が萬葉集を読む上で感じる困難と(困難の程度は度外視して)同質的です。一例として、次の歌を見て見ましょう:

春過而 夏来良之 白妙 衣乾有 天香来山

この歌はかなり有名なので ー 百人一首の元歌の一つです ー 簡単に読める方もいらっしゃるかと思いますが、仮にこの歌を知らなかった場合、漢字辞典だけを使って読もうとすると極めて困難な作業になります。(萬葉集の中には、読み方に関し専門家の間でも意見が分かれる歌もあるほどです。)

春すぎて 夏来たるらし しろたえ ころも干したり あまかぐやま

この歌は漢字を主に訓で読んでいますが、ところどころ音読みの部分が混ざっています。「らし(良之)」 、 「の(能)」の二ヶ所は音読みで読んでいますが(ともに呉音)、面白いのは「之」と言う字で、二句の「夏来たるらし」では音読みなのに、結句の「あまのかぐやま」では「の(之)」と訓で読んでいます。
救いは、萬葉集の時代の漢字の読みが呉音(古代の音)中心なので、平安時代以降に日本に入って来た漢音や唐音を考える必要がないところぐらいだけです。
現代の日本語文は、萬葉集のように全文字が漢字ということはなく、半分ぐらいは「かな」で書かれていますので、その点だけで随分マシにはなっていますが、それでも訓読み、音読み(呉音、漢音、唐音など)が入り乱れて読み方を決定する文法的なルールは存在せず、面倒なことに、同じ字づらでも読み方が変われば意味が変わってしまうような場合もあって、非常に厄介です。(読むための一貫したルールが存在せず、かつ、字面だけで辞書を索くことが非常に困難な言語)
これほどめんどくさい表記システムを採用している言語は、筆者の知る限り日本語だけです。
例えばスペリングと発音が必ずしも一致しない言語として有名な英語でも、スペリングだけで(どう発音するか知らなくても)辞書を索くことが可能であり、またロシア語などのように語形変化が多い言語でも、少数の例外的な単語を除き語形変化が極めて規則的であって、初学者でも基本形は簡単にわかります(ロシア語の辞書は基本形で索く必要があります)。
そして、古典語と呼ばれるギリシャ語、ラテン語、サンスクリット語、中国語などは、すべては(事情はそれぞれ異なるようですが)字面だけで辞書を索くことが可能です。

Bさんによれば、日本の複雑な表記システムさえなければ、日本語の文法そのものは他の言語に比べて決して難解なものではなく、発音に関しては他の言語に比べ音の種類はむしろ限られており、決して学習困難な言語ではないと思えるそうです。

(続きは後日)


2018年2月11日日曜日

都市伝説 ー システム工学版

F16ジェット戦闘機
 最近はシステム工学の入門コース(SysML入門)を作っているのですが、その中で、システム工学に興味がない人にとっても面白いのではないか?と思われるトピックがあったので、ブログにしてみました。
(邪馬台国の続きは、そのうちにまた)

 ソフトウェア工学に関するお話で非常に有名な伝説の一つに、「赤道上空飛行機上下裏返り事件」と言うものがあります。
航空機が南半球から北半球へ向かって飛行している際、赤道を越える瞬間に機体の上下がくるりと裏返ってしまい、また逆に北から南へ戻る時も赤道を越える瞬間に同様のことがおこる ー つまり赤道を越える度に航空機が裏返ってしまうと言うものです。

この航空機というのはアメリカのF16ジェット戦闘機のことです。
F16は1970年代の初めころに設計が始まった胴体と翼(とフィン)の一体化設計を特徴とする戦闘機で、その後何度も改良を加えながら、21世紀の今日も現役であり続けています。
2018年の現在でも、米空軍保有の戦闘機の中で最大数をF16が占め、米国だけでなく世界各国にも輸出された、ー たしか日本の自衛隊も使っていると思います ー ベストセラーであり、航空機業界のレジェンドです。
そして、F16のもう一つの特徴は、世界で初めてフライ·バイ·ワイヤー方式を採用した戦闘機と言う点です。
フライ·バイ·ワイヤーとは、航空機の操縦を機械式ではなく電気式に置き換えたもので(fly-by-wire :ワイヤーは電線の意味)、パイロットが(油圧などを利用しながら)直接機械的に航空機を操縦するのではなく、コンピュータ制御盤を操作するだけで、あとは電気信号で各種機械装置に指令を送りながら操縦をするという方式です。
このフライ·バイ·ワイヤー方式のため、通常の飛行は極めて簡単、スムーズ、安定的になりましたが、反面、予想以上の様々な問題に遭遇することになります。
従来の機械式では、機体や人体に異常な力が掛かるような無理な操縦をしようとすると、操縦桿が非常に重くなったり(機械式ですので負荷や振動が直接操縦桿に伝わります)、機体から異音が発せられたりして、パイロットは素早く異常に気づくことができましたが、このフライ·バイ·ワイヤ方式では、操縦桿は電気信号を発生する単なるジョイスティックとなり指先で簡単に動かせ、またスタビライザー(安定化装置)が自動的に働いて少々の異常振動は押さえ込んでしまいますので、異常に気づくのが遅れ、時としてパイロットや機体を危険な状態に追い込みます。
強力なジェットエンジンと簡単なジョイスティック操作で、人体には堪えられない高いG(加速度)を出してしまいG-LOC(脳に血液が行かなくなり、意識を失う状態)に陥った結果、墜落と言うこともあったようです。
(初期の頃は、G-LOC以外の原因も含め、何人ものテストパイロット(熟練した技量の高いパイロット)の方々がF16搭乗中に命を失ったようです。)
また、機体中に張り巡らされた銅線が過酷な動作環境下で擦れたりよじれたりして回線が断線、ショートしたりお互いに干渉しあったりして(電磁誘導)、誤信号を出すようになり、地上に待機中のF16が、まだ離陸どころか滑走もしていないのに、突然車輪を仕舞い込みはじめ高価な機体を地面に叩きつけて壊してしまったり、異常な電気信号のせいでコンピュータの誤動作を誘発するようになりました。
また、70年代、80年代はソフトウェア工学の黎明期であり、、、、つまり、一言で言うと初期のF16のソフトウェアはバグだらけでした。

ジェット戦闘機のパイロットは重力以上の高い加速度を浴び続けているため往々にして、上下の感覚を失ってしまいます。視界があるうちは窓の外の海や空を見て上下を判断しますが、悪天候等で視界がきかない場合は計器が示す水平線を見て判断します。ところが、その計器が間違っていたらどうなるでしょうか?
80年代のある時、F16のパイロットはしばらくの間、水平飛行していました。視界が全く効かず計器の水平線を頼りに飛行していましたが、この時点で彼は気づいていませんが既に上下反転の状態、裏返しの状態で飛んでいました。そして突然、その計器が機体が地面に向かって急降下していると示し出しました。彼は操縦桿を急いで引いて機体を上昇させようとしました。
しかし、全ての情報は上下逆で、彼の飛行機は地面に激突してしまいました。
彼の腕は操縦桿を握ったままの状態で発見されたと報道されています。

F16の開発過程では様々な逸話が生み出されました。人類はいかにしてテクノロジーを獲得してきたかを如実に示す技術史とも言えます。そして、各種の逸話と同時に数々の都市伝説も生み出しました。
F16にまつわる話は多いけれどどれが真実の話か、どこまでが本当の話か、が専門家でも判断つかなくなってきました。専門家が聞いても、十分に起こりうる話だと感じさせられる真っ赤なウソも多くなってきました。
F16そのものが都市伝説となってしまったのです。

このブログの先頭にあげた「赤道上空飛行機上下裏返り事件」もそう言った都市伝説の1つです。 と言っても70パーセントぐらいは本当の話で、実際にコンピュータ·シミュレーション中に発生しています。
F16の自動操縦をさせるソフトウェアを開発し実機で稼働させる前に、コンピュータ·シミュレーション環境で動かし、たまたま赤道付近を飛行させたために発見されたバグです。
F16の開発は航空技術的、ソフトウェア技術的、システム工学的に非常に興味深いエポックであり、同時に多くの都市伝説を生みました。
試しにネットで"F16 urban legend"で検索すると山ほどの文献がヒットします。
この真実味のある都市伝説の多さから、F16はシステム工学の”となりのトトロ”と呼ばれています。(冗談です)

2018年2月1日木曜日

纏向遺跡にて その1

箸墓 纏向遺跡
正月に初詣に奈良に行ったとき、帰り道に邪馬台国の有力候補として有名な纏向(まきむく)遺跡を見てきました。
筆者は学生時代から日本史が苦手で、古代史などにも全く関心が無かったのですが、実際に遺跡を見てみると俄然興味が湧いてきました。

邪馬台国がどこにあったかと言う問題は古くは江戸時代から争われて来たそうで、その論争の最大の原因は邪馬台国の場所が記述されていた「魏志倭人伝」の地理的表現、特に方位や距離が(意図的とも取れるほど)不正確であることにあると言われています。


考えてみると、古代どころか近世の江戸時代の地図などを見ても、距離や方位と言った情報は極めて不正確です。海上など見通しのきく範囲では方角はある程度信用できますが、見通しのきかない長距離の陸上となるとかなりいい加減となりますが、これは当時の軍事上あるいは生活上、正確な方位や距離が必要な場面がほとんどなかったからです。
それに反し、トポロジー情報は極めて正確です。
なんとか村の隣はなんとか町と言った隣接情報や、街道沿いに現れる地名の順番を間違えることはまずありませんが、これは、人間が主にトポロジー情報を使って移動しているからであって、方位や距離の重要度を遥かに凌駕します。
また、トポロジーに並んで正確に記憶される情報として、地域の特産品、風俗などの地誌情報があります。
例えば仮に魏志倭人伝で、「邪馬台国の特産品は”辛子明太子”である」と記述されていたとすると、皆さんの中にも、ある地域がピンと思い浮かぶ勘の鋭い方もいらっしゃるかと思います。
そして、さらに、「邪馬台国の主食は”豚骨ラーメン”である」と記されていたら、話は決定的になります。
何となれば、”豚骨ラーメン”を常食し、”辛子明太子”を好む土地というと、そうです、あの地域しかありえません。
ところが、さらに続けて、「邪馬台国では”豚骨ラーメン”を食べる時には必ず"柿の葉寿司"を合わせて食べる」となると頭の中は大パニックを起こしてしまいます。
かように人間は地誌的情報に対して極めて敏感であり、これは、おそらく人類が狩猟採集生活をしていた時代から骨身に叩き込まれ身につけて来た習性であったからでしょう。

北九州上陸直後に消息を断つ

さて、魏志倭人伝にはトポロジー情報も地誌的情報も記されていますが邪馬台国の所在地を特定するまでには至りませんでした。
地理的に、魏の支配下にあった朝鮮半島の帯方郡から対馬、壱岐を通って北九州に上陸するまでのルートは、ほぼ確実にたどることが出来ますが、上陸後幾許もせず情報が急激に曖昧模糊となって犯人(ホシ)の足取りがプッツリと途絶えてしまいます。
また、地誌的な情報も、邪馬台国の南方系的、海人族的風習を思わせる記述があるだけで、ホシ(犯人)を特定するにはあまりに不十分です。
そして長い間、もはや事件(ヤマ)はお宮入り(迷宮入り)かと思われたところに、新しい新事実が発見されました。
そして、ヤマ(事件)は動き出します。
🎵BGM指導: この節は「太陽にほえろ」のテーマを流しながら読むのが良いでしょう)

崩れ去ったアリバイ(不在証明)

新事実とは、纏向遺跡の考古学的発見です。
纏向遺跡は以前からその存在は知られていましたが、時代的には邪馬台国の時代、3世紀のものではなく、もっと後の時代のものだと見なされていました。
従って邪馬台国の時代に纏向はまだ無かった、と言う不在証明ーアリバイが成り立っていると考えられていました。
しかし、近年の発掘調査の結果、纏向の成立時代は従来の定説を遥かにさかのぼり、邪馬台国とほぼ同時代と見做されるようになり、ここに至って、纏向のアリバイー不在証明は完全に崩れ去ってしまいました。
そして、その遺跡の規模や内容から考えて、纏向は邪馬台国の最有力候補、ー もとい、最重要容疑者にされてしまい、世間から強い嫌疑の視線を浴びるようになってしまいました。本人もまだ自白(カンオチ)には至ってませんが、かなり弱っているのは確かです。

真実の訴え 纏向はシロ(無実)

しかしながら、筆者は、纏向あるいは大和地方は邪馬台国では無かったと考えます。この結論に至った論考は次回以降述べたいと思いますが、この結論に至った最大の要因は何と言っても遺跡を目撃したことによります。
もし、この目撃情報がなかったら、筆者も、纏向や大和地方に対し、強い疑惑の目を向けていたままかも知れないと考えると 恐ろしい気がします。


次回に続く