2022年6月19日日曜日

世界標準と日本語 その8 


神戸の中で、最も神戸らしいと言われる場所にある茶店(カフェ)へ、絵を描きに行ってきました。
 
 ここメリケン波止場は、明治期には神戸港を代表する、さらに言えば日本を代表する波止場の一つとなり、多くの外国航路の船が行き来し、夏目漱石など海外への留学生や、移民、ビジネスマン、芸術家など、多くの洋行する人々の出発点、帰着点となりました。
 
メリケン波止場が最も賑わったのは、日本の高度成長期で、多くの貨物船が、屑鉄や鉄鉱石などの原材料を輸入し、製品を輸出して行きました(いわゆる加工貿易)。また、当時は国内輸送においても船便はよく使われ、鉄道輸送と並んで、日本経済の大動脈を形成していました。
上に写っている公園は、埋め立てられる前は海であり、数あまたの艀(はしけ)の船泊まりとなっていました。
貨物船が入港すると数えきれないほどの数の艀がタグボートに引かれて船に運ばれ、多くの沖仲仕たちが24時間交代で何日もかかってすべて人手で荷役を行っていました。
近くにある造船所(川崎造船や三菱造船。今は共に造船から重工に社名が変わっています。)も、荷役同様24時間操業を続け、大音響を港中に轟かせながら夜通し煌々とまぶしい灯りを海の上に放っていました。
そして、高度成長期の末には、日本は世界有数の(確か世界一の)鉄鋼の生産国、造船国になっていました。
 
忙しすぎて陸に上がって食事をするヒマもない港湾労働者たちに食事(弁当)を売る船や、また艀の片隅に残った積荷の残骸を買い取る古物商の船も行き来し、この辺りは24時間、人や荷物、そして大小の船でごったかえしていました。 
また艀には、多くの水上生活者の方も暮らしており、動力源がなく電気もガスも水道もない当時の艀の船上の生活の話をうかがうと、現代では考えられない異次元的、別世界の感があります。
そういったご苦労が現在の日本の礎(いしずえ)を作り上げたと感じます。
参考:かどもとみのる著「メリケン波止場」
カフェには平日に行ったので、店の中は修学旅行中らしい港湾史好きな(?)女子高校生たちがパラパラといる程度に空いていて、じっくりと大作を仕上げることができました。
 

自然言語の限界

 

OSIの実証実験に現れた「自然言語の限界」を、をコミュニケーション理論でよく登場する「送信者・受信者モデル」を使って図示したものが下の図です。

絵心がまったく無いため、フリー素材を使いながらメリケン波止場のカフェで格闘の末、完成しました。

フリー素材の作者の方々感謝いたします。

 

送信者・受信者モデル

 

図は、送信者はアプリケーションの仕様を自然言語へコーディングし、受信者は自然言語をデコーディングしてアプリケーションを開発している状況を示しています。

上図では、送信者側の「子犬」が受信者では「大怪獣ゴジラ」に変形していますが、情報の変形が起こる原因の大半は自然言語へのコーディングと自然言語からのデコーディング作業に問題にあり、逆にメディア(媒体)上のノイズの影響はほとんどありませんでした。

21世紀のテクノロジーの観点から見ると、この種の問題は、使用した言語、自然言語の実用限界そのものの問題に映ります。



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