2019年6月21日金曜日

10分の1の法則 その7

紫の睡蓮
最近、米中貿易戦争や中国の製品の話題がニュースによく登るせいか、まったくITに無縁な人などから、『なぜ日本はファーウェイみたいなハイテク製品が作れないのか? 聞くところでは、主要な部品の大部分は日本製なのに ・・・、』と言った類の質問を受けることがあります。

『日本は部品を作る能力は高いけれど、部品を統合して製品にして、それを売る能力が低いから』と言う答えは、明らかに物事を単純化し過ぎており、決して良い回答になっていません。
日本には、部品を作るのも上手いし、それを組み合わせて製品にするのも上手い分野 、例えば 自動車産業などが存在し、また逆に主要部品は海外に依存するけれど、それらを組み合わせて製品にして販売も上手い分野、例えば パソコン分野などは主要部品のCPUやOSは海外技術に依存しつつも製品化や販売は比較的上手く行っている面もあるわけで 、単に部品とか統合のレベルでは語れない問題です。

筆者の個人的な経験から言うと、実は、日本産業のこのような問題の傾向は既にバブル時代、1980年代には少なくとも産業内部の技術関係者の目には明確に現れており、90年代になって急激に一般化し外部の人にも徐々に知られていくと言う歴史的経緯をたどっているように思えます。

80年代と言うと日本のハイテク産業が飛ぶ鳥の勢いで躍進していた時代であり、特に通信分野は当時の日本のお家芸的存在であったのです。
そして、世界的な通信の自由化の進展期間でもあって、コンピュータと通信の融合分野、つまりデータ通信分野は今のインターネットの発展につながる急成長分野と見なされ、日本の通信関連企業にとっては、持てるテクノロジーが直接利用可能であり、成功に最も近い企業群だと思われていました。

と言うのも、当時の欧米のデータ・プロセッシング機器メーカー、例えばIBMなど、はコンピュータ技術には長けていても通信技術に関してははっきり言って未熟であり、一方、AT&Tに代表される通信系企業は、逆に通信技術には長けているけれどデータ・プロセッシング分野は経験不足、と言った状況であったのに対し、日本のコンピュータ・メーカー(以下JCMと略: Japanese Computer Manufacturers) は、もともと通信機器メーカーであった所が多く(いわゆる電電(NTT)ファミリー)、通信技術とコンピュータ技術の両方を持ち、極めて有利なポジションに立っていました。(当時、マスコミでは通信とコンピュータの技術融合などと言われていました。例 C&C)

戦略の失敗

ところが、90年代以降、データ通信分野が世界的に勃興し始めると、JCMはデータ通信分野において大きく出遅れてしまい、存在感が急激に希薄化して行きました。

筆者は、このような事態を招いた最大の原因は戦略の失敗だと思います。
80年代の日本のデータ通信分野の大きなトピックに、ISDNとOSI (Open Systems Interconnect)が挙げられます。
と言っても、それらのサービスは日本だけではなく、世界的に実施されていましたし、ISDNはともかくとして、OSIは、非常に短い期間ではありましたが一時期、日本だけでなく世界的にも注目を集めた話題でした。
では、何が問題だったかを考えてみたいと思います。

ISDNとは?

ISDNはネットワークの最末端の接続情報を規定する世界標準であり、電力網の例で言うと、電気のコンセントに当たる概念です。
電気のコンセントは、皆さんご存知の通り、国や地域によって、その形状や電圧、周波数などはまちまちですが、例え世界標準に準拠した通信インタフェースと言っても事情はまったく同じで、国や地域によって結構バラバラです。
例えば、フランスのISDNと米国のISDNは少し異なりますし、日本のISDNもちょっと違いますが、みんな世界標準準拠を謳っています。

ちなみに、通信機器のプロダクト・マネージャーは、各国の通信インタフェース情報と通信タリフ(価格体系)に対しては、非常に敏感でした。
何となれば、通信インタフェースの仕様に多少とも違いがあれば、それが原因で繋がらなくなる可能性が発生し、繋がらない通信機械は、当然、その国ではまったく売れませんし、また、通信タリフの違いによって、どのようなネットワーク機器が売れるのか大きく変わってきます。
例えば、その国のキャリアが、固定回線の料金をパケット交換回線よりも割高に設定していれば、顧客はパケット交換サービスに流れ、固定回線を買って自衛網を構築する顧客は減り、自衛網構築用ネットワーク機器の売り上げは上がらなくなる、と言った風なわけです。


(続く)