2022年5月27日金曜日

世界標準と日本語 その6  日本語の問題か?


前回(世界標準と日本語 その5) のブログで、OSIの世界標準の解釈に各メーカー間で食い違いが発生した際、まず第一に日本語訳やその解釈が疑われたことを述べました。

これは当時の日本人技術者たちが英文解釈に絶対の自信を持っていなかったこともありますが(笑)、もう一つ別の理由がありました。

実はOSIの相互接続性実証実験を遡る数年前に日本でX.25パケット通信サービスが始まったのですが、その時にも、英文解釈に関連にする問題が発生していたのです。

X.25パケット通信は、低速(9.6kbps〜48kbps程度)のパケット通信であり、OSIと同じくCCITT(ISOの前身)が定めた通信プロトコルを指し、OSI参照モデルの第3層、ネットワーク・レイヤーに相当し、相互接続性実証実験でもそのプロトコルが使われていました。

日本でX.25パケット通信サービスが始まった時には、内外の通信機器(コンピュータ)メーカー達は、当然のことながら世界標準X.25に則り通信機械を製造し販売を開始していましたが、日本メーカーの機器だけが、当時、まだ民営化前だった電電公社(今のNTTの前身)の公衆パケット網に繋がり、外国製機器が全く繋がらないと言う問題が発生していました。

そして、この通信障害を解決するために様々な検証や実験が行われた末に解ったことは、この通信障害、インシデントの原因は、国際標準の日本語への誤訳にあったことでした。

日本語訳を誤り、その誤訳された接続標準を基に通信システムを設計した日本のメーカー同士や電電公社の間は繋がりましたが、海外製の機器とは全く繋がらなくなってしまったのです。

しかしながら、前回の公衆パケット網の障害と、今回のOSIの接続性実証実験の障害とでは、症状の出方はかなり異なっていました。

OSIの相互接続性実証実験では、単純に国産機同士が繋がると言う訳ではなく、外国製と国産機が繋がる場合もあるし、国産機同士であっても繋がらないと言う事態や、AとB、AとCは繋がるがBとCは繋がらないがと言う問題がメーカの母国語を跨いで混在し、極めて不思議な、謎めいた状態を示していました。

 

2022年5月24日火曜日

日本の経済モデル ビジョンの失敗

 

久しぶりに鎌倉の友人から電話があり、積もる話、四方山話の中で、日本の経済モデルに関する筆者の意見を聞かれました。

元より筆者は経済の専門家でも何でもなく、また、このプロマネBlogにそんな経済分野の話題が求められているとは思わなかったのですが、ビジネス・パースペクティブ、特に戦略論の観点から、私見を書いてみたいと思います。

 成長戦略の失敗

以前、〜確か数年前〜、世間で大きく話題になったものに「成長戦略」なる言葉がありました。皆様の中にも憶えておられる方も多いと思います。日本は、明治中盤以降、軍事や経済分野でも戦略的な動きが全く無くなってしまっており、筆者もたいへん注目しており期待を持って見守っておりました。

(注:明治中盤以降から昭和、平成にかけて、戦略という言葉自体は広く蔓延していましたが、そのアプローチは科学的ではなく、むしろ神秘主義的、宗教的な様相を呈しており、まるで「お題目」的な扱いでした。)

しかしながら、日本社会の熱気と大きな期待とは裏腹に、あっという間に失敗と幻滅、失望へと変わってしまいました。失敗と一口に言っても、世の中の失敗の中には、悪いことばかりでなく良い失敗も沢山あるのですが、この成長戦略の失敗は、かなり悪性度の高い失敗でした。経済成長の種をほとんど残さず、むしろ大金をかけて悪化のスピードを加速させ、社会を成長がより難しい体質に変える結果となってしまいました。

 戦略の失敗は、当然、トップの指導者の無能を意味しますが、この成長戦略の失敗や、同時に行われた他の関連する経済施作などは、はからずもトップだけではなく、トップを支えるブレーンたちや、官僚機構の(少なくとも上層部の)無能も明らかにしてしまいました。

ビジネス・パースペクティブから見た現在の日本経済

 1990年代から現在に続く日本経済の停滞状況〜いわゆる「失われた20年とか30年」〜は、通常の季節的な景気循環に見られる金利の上下動や投資の波では説明がつかない症状を示している事は論を俟ちません。

筆者は現在の日本の経済状況は、歴史的に見て一つの王朝・国家の繁栄・衰亡を決定しうる重大な局面を呈していると考えます。

話をより具体的にするために、歴史的に類似する例を挙げて、比較して見たいと思います。

現在の日本の経済の症状に最もよく似た例を歴史上から探すとすると、1970年代から80年代にかけてのアメリカ経済の衰退が挙げられます。

 第二次世界大戦後のアメリカは、戦争の被害も少ないこともあり、その工業力は目覚ましい発展を遂げ、世界最大の工業国、世界の工場として君臨し、その経済力には飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。ところが、70年代に入ると、その勢いも急激に鈍化してゆきました。工業力、特に重工業分野での国際競争力を失い、工場は閉鎖され、大口の雇用先が次々と無くなってゆきました。多くのアメリカの製造業はアメリカ国内への投資をやめ、海外投資に向かいました。

当時、アメリカの新しい産業分野である、コンピュータ産業、情報産業は絶好調と言って良いほどの好業績で高い成長率を維持していましたが、アメリカの工業力の衰退を埋め合わせて引き上げるだけの力はありませんでした。

失業問題や都市の犯罪事件の増加、景気後退と高インフレの同時進行という大不況の中にアメリカは喘いでいました。このアメリカ経済の急激な減退は、その工業分野の国際競争力の急速な失墜によるものでした。

もう一つ似た例を挙げるとすると、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリス経済の失墜が挙げられます。ご存知の通り、イギリスは世界最初の工業国になった国家で、19世紀はパックス・ブリタニカと呼ばれたイギリスの時代となり、世界最大の工業国として君臨していました。ところが、20世紀に入ると、2度の世界大戦の敗者であるドイツに工業分野の国際競争力で2度も負けてしまいました。

詳しくは、本ブログのOCEB講座:戦略とビジョンの中のビジョンの失敗:イギリスの場合を御参照ください。
20世紀後半、アメリカが工業分野の国際競争力で敗れた相手は、世界大戦の敗戦国、日本と西ドイツでした。日本は、アメリカに対し、低コスト、高品質を武器に輸出を増やし1980年代には、アメリカにとって最大の工業製品の輸入相手となり、貿易赤字と財政赤字のいわゆる「双子の赤字」と「スタグフレーション」は、停滞期(70年代〜80年代)のアメリカ経済を象徴する言葉となってしまいました。

 一国の経済環境の国際競争力失われた場合、その分野への新規の投資が先細りしてゆき、競争相手である国際競争力の勝った国へ資本が流れていく事は19世紀であろうが21世紀の現在であろうが変わりません。むしろ流出速度は相対的に上がっています。

日本の国際競争力が負けた相手は、80年代に日本に遅れて急成長してきた東南アジア、そして中国でした。 東南アジアと中国の強みは個々異なりますが、大きく言って、低価格と大市場へのアクセス(大陸中国)の2点と言って良いと思います。

ビジョンの失敗

自国の国際競争力の失墜に対し、アメリカ政府とイギリス政府の対応は対照的でした。

アメリカ政府は自国の製造業を強化する為のあらゆる方策(品質改善運動など)を尽くし、海外企業(特に製造業)を国内に呼び込むために海外資本が投資しやすい環境を整備し、また新規産業の育成を図りました。

それに対しイギリス政府は国際競争力を取り戻すための政策をほとんど行いませんでした。

そして日本政府の対応は当時のイギリス政府の対応に酷似しています。

「イギリス政府は、既得権益の保持に終始し、新分野(当時の新分野は重化学工業)、自然科学の基礎研究分野への投資が疎かになってしまった事が大きな失敗であった」、つまりピーター・ドラッカー氏の言う所のビジョンの失敗を、日本政府も犯し続けています。

 (続く)


 

 

 

 

2022年5月13日金曜日

世界標準と日本語 その5

OSIの接続試験に時間が掛かったのは、大きく分けて2つの要因によるものでした。

1つ目は、参加企業の技術力や対応能力の違いでした。A社とB社の接続で問題が発見された場合、OSI標準に則り原因が究明され、一方もしくは両方の開発部門により修正が加えられて再テストすることになりますが、その対応スピードに差がありました。

しかしながら、この対応速度の差は事前に予想されており適当なスケジュール・バッファーが取られており、結果的にはほとんど問題にはなりませんでした。繋がらない原因が判明すれば、原因側の企業はさっさと、ー 時間が掛かっても、せいぜい2、3日以内に ー 修正して来ますし、接続機器がパソコンなんかだと、その場でテスト機に直接修正を加えコンパイルして完了、と言った感じで、その修正の速さに、メインフレーム側のエンジニアを驚かせていました。

注) メインフレームなどの大型機は、テスト機が接続試験会場に持ち込まれることはなく、遠隔地にあるメインフレームに繋がった通信回線のもう一方の他端が試験会場に来ているだけなので即時の対応が難しく、それに対し、パソコンなどの小型機は会場に直接持ち込まれるケースもありました。

 接続試験に時間が掛かった2つ目の要因 ー 実はこちらが本質的な問題でした ーは、不具合の原因がわからないと言う問題でした。

不具合が発生すると、当然、OSI標準に則って、標準通りに動作しているか調査され、どちらが間違った動作をしているか? あるいは、両者とも間違っているか?と言ったことが調べられるのですが、当事者以外の専門家が見てもどちらが間違っているか判断が付かないケースがしばしば発生しました。

また問題は、2社間の接続だけでなく、3社間以上の組み合わせで発生するような問題も起こりました。

どう言うことかと言うと、例えば、「A社とB社の接続では何の問題もなく、A社とC社の接続も滞りなく繋がる、ところがB社とC社で繋ごうとすると問題が発生して繋がらない。」と言うような問題がしばしば起こりました。(下図参照)


そして、A、B、Cの三社とも、自分は標準通り作り、I標準通り動作していると信じています。
すなわち、各社の標準の解釈が異なっており、どの解釈が正しいか、標準を見ただけでは、第三者の立場に立つ専門家にも判断がつかないと言う事態に陥ってしまっていました。

また、この問題には、非常に興味深い特徴がありました。

OSIのアーキテクチャーは、他の大部分の通信プロトコルと同様に階層型アーキテクチャーを採用しています。(下記のOSIの階層図を参照)  

OSIの階層
図を簡単に説明すると、一番上のアプリケーション層がアプリーケーション(ソフトウェア)そのものであり、下位の層が一つ上の層に対しサービスを提供する形で階層を構成しており、最下層の物理層が電線や光ファイバーなどの通信回線となります。
コミュニケーション理論で言うと、下位層はメディア(媒体)を管理し、上位は意味を扱うレイヤーになります。
 
そして、上記の問題は、面白いことに、下位のレイヤーでは殆ど起こらず、大部分が上位層で発生していました(特に、アプリケーション層を中心に上位の層に集中する傾向)。
上位の層は、アプリケーション自体やアプリケーションに近い、つまり人間側に近い内容を扱っていたのに対し、下位は、電気信号などの物理的な内容、一言でいうとメディア(媒体)固有の問題や、ネットワーク・アドレスなどの基本的な論理的内容を扱っていました。

1980年代、 OSIは、当時フランスに本部があった国際電気連合の標準化部門、旧CCITTで、標準化が進められており、フランス語を始めとするいくつかの国際言語(国連のそれと大体同じ)で記述されていましたが、実際問題として世界のIT企業の大勢は、英語版をもとに実装化を図っていました。そして、多くの日本企業も、英語版や英語版からの和訳版を使っていました。

そして、まず第一に疑われたのは、標準の誤訳や、英文解釈の間違いでした。