2014年3月25日火曜日

OCEB講座 第38回 戦略と戦略眼 その1

戦略
戦略 ー ここで言う戦略とは戦術の対義語であり、階層構造を持つ計画の意味 ー は、文字通り戦争の中から自然発生的に生まれて来た概念であり、当然、日本にも古来からありました。
戦略をどういう具合に戦術に展開するかを決定する方法論は、組織や分野 ー 軍事、マーケティング等等 ーによって大きく異なりますが、時代を超え、分野を超えて、おおよそ同様の様式的特徴を持ちます。
ここでは、その主要なものを揚げていきましょう。

戦略階層の特徴
  • 上位の戦略が下位の戦略へ展開される中で、上位の戦略ほど長期的かつ包括的になり、結果として抽象的になる傾向がある。
  • 下位の戦略は範囲が狭まると同時に、より専門的、より具体的、そして往々にしてより短期的になっていく。
  • 上位の戦略が下位の戦略目標を決定して行く ーつまり、上位の手段が下位の目的へ翻訳されていく。 例えば、勝つために敵の物資の補給路を絶つと言う上位の手段に対し、下位の戦略は、補給路を断つ事自体を目的として立案されていく。
  • 戦略が予算と組織構造を決定する。戦略は組織にマッピングされ、目標は個々の司令官あるいはマネジメントへ責務として渡され、同時に権限あるいは予算が与えられる。
  • 戦略目標は、しばしば時間制約(いつまでに達成しなければならないか)を伴う。
  • 指揮官あるいはマネジメントは、与えられた自分の権限内の決定に関し、戦略的観点からの判断が要求される。
  • 戦略の展開は、戦略単位と呼ばれる組織まで行なわれ、それより下位はより具体的な戦術レベルへ展開される。

2014年3月9日日曜日

OCEB講座第37回 戦略と日本人

茅葺き屋根
筆者は、昔、海外企業の企画部門に在籍した事があり、戦略と言う言葉には人一倍思入れがあります。
そのせいか、日本型組織に共通に見られる戦略の視点の不在は、極めて不可解に映ります。

以前(3年前に)投稿した日本型パターンと言う記事でも触れた『現代の日本の組織には、戦略眼、戦略の視点が欠けている』と言う指摘は、筆者の気持ちの中で、ますます強い確信になって来ました。

しかしながら、日本の組織に戦略の視点が欠けているとは言っても、大昔から常にそうだったわけではなく、その有無は時代によって大きく変遷して来ています。
第二次世界大戦時の日本軍や現代の日本が戦略眼の喪失の時代であったとしたら、その対局の例として、鎌倉時代を取り上げたいと思います。
と言うのも、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」は、単なる日本史の資料と言うだけでなく、現代に通じる戦略論としても読めるからです。

戦略と言う言葉は様々な意味合いで使われています。
政策と言う意味でも使われますし、作戦、方法論と言う意味で使われる事もあります。
このブログで言う「戦略」は戦術に対する戦略、つまり、階層構造を持つ計画と言う意味で議論したいと思います。
日本において戦略と言う概念は、恐らく世界の他の地域同様、輸入された概念ではなく、大きな戦いの中で自然発生的に生まれて来たものだと思います。
筆者は日本史に通暁している方ではないのですが、それでも、少なくとも源平合戦の時代にはかなり明瞭に戦略思考が鮮明になって来ました。

2014年2月10日月曜日

OCEB講座第36回 戦略眼の欠如の問題

新年 
 明けまして
  おめでとうございます

本年も、よろしくお願いいたします

近所の小さな神社に初詣に行って来たのですが、いつもひっそりとした境内が参拝の列ができるほど大にぎわいでした。
また翌日には、神戸の中心にある生田神社にも参拝したのですが、ここもすごい人出でした。
多くの日本人の心の中に、神社が大きな位置を占めている事の現れでしょう。
そして、コーヒーでも飲もうと思い、旧居留地(神戸港開港の際に外国人がすんでいた場所。いまの大丸百貨店のあるあたり)にあるスターバックスへ行く途中に、三の宮神社も通ったのですが(旧居留地や三の宮神社はかつて神戸村(かんべむら)があった場所で、言わば神戸(こうべ)と言う地名の発祥の地です)、そこにも願い事を書いた絵馬がたくさん奉納されており、その中には昔からある恋の願いや合格祈願などにまじって、「今年は正社員になれますように」と言うような絵馬が掲げられているのも昨今の日本の状況を示しているようです。

さて、神社で思い出したのですが、昨年末に日本の首相が靖国神社に参拝した事が国際的な話題になりました。
筆者は、国際政治など目に一丁字もなく、とやかく言う資格は皆無ですが、以前から触れていた日本型組織の問題の観点から見ても非常に面白い話題ですので、この場でちょっと議論してみたいと思います。

現代の日本の組織の問題と旧日本軍が抱えていた組織問題の相似性の観点、特にそのリーダーシップの問題は、かなり根強く残っています。
以前、このブログでも触れた「戦略目的と作戦目的の不一致の問題」 に関連して書くと、目的の不一致、あるいは戦略の曖昧性の問題は、もっと踏み込んで言うと『戦略眼の欠如』と言った方がより問題をストレートに表現しているように思われます。
と言うのも、戦略の不一致や曖昧性の問題が極めて甚だしく致命的なレベルに達しているにもかかわらず、当事者はそれを問題視する意識が著しくかけているからです。

なお、ここで言う戦略とは、戦術に対する戦略と言う意味で言っており、単なる計画と言う意味では使っておりません。