2021年9月30日木曜日

世界標準と日本語 その1

10分の1の法則(11) & グローバル化と英語(8) 合併号

Network
ネットワーク

 以前の投稿、10分の1の法則 その7でちょっと触れましたが、日本経済がバブルまっただ中の80年代後半、日本人がみんなイケイケだった頃のことですが(笑)、日本のIT産業で非常に大きな話題になった事柄に、ISDNとOSIがありました。

 

ISDN、ー NTTの商品名サービス名でいうとINS ー、の方は単に日本国内だけの騒ぎで終始しましたが、もう一方のOSI(Open Systems Interconnect)は日本だけではなく、非常に短い期間ではありましたが、世界的に大きな注目を浴びるブーム、一大エポックとなっていました。

 とは言え、 当時はまだソ連崩壊前でしたので世界と言っても西側世界と言った方がより正確ですが。

OSIが注目された理由

 80年代の東西冷戦下、西側諸国で急速に進められた通信の自由化に伴って、データ通信分野の急拡大が始まりましたが(この流れは、現代のインターネットの興隆に直接つながります)、肝心の通信プロトコルの方は、戦国時代さながらの状況で、例えば大型機の分野ではIBMのSNA、パソコン分野ではマイクロソフトのNetBIOSやアップル社のAppleTalk、NetwareのIPX・・・等々と言った感じで、各企業固有の(プロプライエタリな)プロトコルが群雄割拠しており、異機種間の互換性は皆無で、そのままでは全く繋がりませんでした。

そして、世界の大規模なネットワーク・ユーザーを中心に、異機種間の相互接続性を求める強い要求が、大海を揺るがすうねりとなって、世界中を荒れ狂っていました。

 その大波の中、異機種間を接続する共通のプロトコルの有力候補として、注目されたのがOSIでした。

理由として、

  • まず第一に挙げられる点は、何と言ってもOSIが新しい世界標準であったことでした。企業固有のプロプライエタリなものとは異なり、どの会社もまだ実装しておらず、企業に依存せず独立したプロトコルであって、有利不利なく平等な競争が期待できました。
  • また、プロトコルとしてのOSIは比較的に小規模で軽く(注*)、当時の非力なパソコンでも実装が容易であったことも、OSIが着目された重要なポイントでしょう。
そうして、OSIの標準化が進められ、その国際標準に基づく実装化が各企業で急ピッチに進められていました。
当時は日本も極めて意欲的、積極的に、世界標準化、実装化に参加しておりました。
ー 80年代は、日本の通信メーカーは世界の通信分野の先頭集団を形成していたと言っても良いほどでした。
確か1988年頃だと記憶していますが、こうして各企業が実装した機器を通信回線を経由して接続して、コンパチビリティ(互換性)を検証するイベント、相互接続性試験が行われました。
このイベントは海外企業勢も巻き込み、結果的にかなり大掛かりなものとなり、当時、筆者はOSIとは直接関係の無い部署にいたのですが、パートタイム的にエンジニアとして駆り出され、この検証プロジェクトに否応なく巻き込まれていました。
 

 接続試験の成功と市場の落胆

この相互接続性検証プロジェクトは、期間的に数ヶ月間続き、結果的にはすべての検査項目が検証され、接続試験は成功裏に終わりました。
ところが、そのOSIの動向を熱狂的に注視していた世界市場は、詳細が明らかになるにつれて、急激に冷えてゆきました。
あれだけOSIで盛り上がっていた日本市場も、あえてOSIを採用しようという企業は公的私的を含めて現れて来ませんでした。(当時は、公的機関ほどベンダー独立のプロトコルを採用したがっていると言われていました。)
 
市場は、OSIに失望、落胆したと言った方がより正確だったと思います。
 
続く・・・