2012年6月3日日曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 4

旅と滞在 @蓼科
筆者はこのプロマネBlogを自分の気晴らしのために書いている事は、読者諸兄姉のご推察の通りです。
どうも生来、駄文を連ねて人に読んでもらう事で、精神的に安定が得られるタイプのようです。
言わば、平安時代の名随筆家、清少納言の同類と言えるでしょう。(冗談です。清少納言ファンの方、申し訳ありません。彼女が書いたのは駄文でもなければ、気晴らしのために書いたわけでもありません。)

しかしながら、原発事故を表題にしたあたりから、ブログを書く事がだんだん憂鬱になってきました。




 前回のブログで、重大リスクが見落とされた原因の究明が必要と書きましたが、これは失敗を振り返り失敗から学ぶ事が極めて重要だからだけではなく、リスクの見落としが戦略的、方法論的なミスであるからです。

しかし、それだけではありません。
たいへん言いにくい事なのですが、ミスの内容が、専門家が犯すミスとしてはあまりに初歩的すぎるからです。
これは、単に、今回の大津波のリスクを見逃した事だけを指している訳ではありません。

筆者自身、ちゃらんぽらんな人間であり、決して人様の仕事を批判できる人間ではない事は、重々承知しています。
しかしながら、問題の重要性から、自らの浅学非才を顧みず、批判する理由を以下に書いてみたいと思います。

筆者自身、地震の専門家では当然なく、地震について語れるとしたら、唯一の理由は、筆者が神戸出身で、肉親を含め、多くの友人知人が先の「阪神淡路大震災」を経験した事です。
日本の多くの原発は、断層帯またはその周辺に作られています。
意外に世間に知られてない事ですが、今回のような海洋型の地震と、阪神のような直下型地震では、揺れ方が随分と違います。
活断層に起因するような直下型地震は、海洋型に比べ地震のエネルギーが小さく、影響地域の範囲は限定的です。
しかしながら、震源がごく浅く近いため、震源の真上での揺れ方は極めて激烈です。

神戸市内の場合、東西に走る激震地帯を外れると、揺れのエネルギーが分散されて、一挙に被害は少なくなります。
筆者の両親の家は、激震地帯である東西の帯から北にそれたところにありますが、電気水道ガスなどのライフラインが止まり、家も激しく揺れて棚の上のものが落ちて、家の中はごちゃごちゃになりましたが、家屋自体には何の被害もありませんでした。
家の近隣周辺も同様で、家が壊れたと言う話はほとんど聞きません。
一方、直撃を受けた激震地帯の状況は全く異なります。
地面から突き上げてくる衝撃で、体重の軽い女性や子供は宙に跳ね上がり、まるでトランポリンに載っている状態だったと言います。
また、建造物も最初の一撃で逃げる間もなく崩壊したと聞きます。
多くの方が亡くなりましたが、早朝5時台の地震で火をあまり使わない時間帯であったにも関わらず、焼死した方が多いのも特徴的です。
これは、最初の衝撃で家が壊れて中に閉じ込められ、遠くの火元から火が伝わって来るのに時間があったにも関わらず、水道も止まり道路も車が通れる状態ではなくなったため火を消す手段がなく消防車も来れない状態で焼死されています。
肉親の助けを呼ぶ叫び声を火の中から聞きながら、なすすべなく立ちすくむだけだったと言う、地獄図絵のような話を聞いた事もあります。
筆者の中学時代に同級生カップルだった夫婦も、幼い子供を残し亡くなっています。
焼死だという話を聞いた事がありますが、詳しい話は聞いていません。
火事は、多くの場合、自然鎮火、つまり焼き尽してもう燃えるものが残ってない状態でおさまりました。
直下型の地震の恐さは、揺れそのもの(エネルギー)もさることながら、その衝撃力(時間微分したもの)です。
これは、同じ力でも、長い時間をかけて少しずつかかる場合と、短時間に一瞬でかかる場合では、破壊力が全く違う事から、想像が付くと思います。
阪神淡路大震災の場合、断層が地表に現れ地形が変わってしまった所もあります。
従って、原発に求められる耐久性も、揺れだけの場合と、衝撃力や地形の変化も加味した場合では全く違うと思います。

最近、原発の真下あるいは周辺で活断層が発見されたと言うニュースをよく聞くようになりました。
活断層が発見された事もニュースではありますが、もっと衝撃的な事は、今までそう言う調査がされていなかったと言う事実です。
筆者を含め多くの人は、「断層帯の上に原発があるんだから、当然、活断層の調査も徹底してやってるだろう」ぐらいに想像していたのではないでしょうか?


(続く)



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