2019年2月28日木曜日

10分の1の法則 その5

80年代(メインフレーム全盛期)の
大型コンピュータ
80年代の日本、国産の優秀なコンピュータがあるのに、なんでわざわざ高いIBM製を買うんだ?と言う疑問が沸くのは、ごもっともだと思います。
事実、国産のハードウェアに比べて、IBM製は速さ(演算速度)、機械としての品質(故障の少なさ)、そして価格性能比、どれを取っても負けていたと思います。
これは対国産だけでなく、他のアメリカ製と比較してもIBMより速い機械、安い機械はたくさんありました。

Why IBM?  なぜIBM製が売れたか?


IBM製コンピュータが売れた理由は、機械そのものではなく、その売り方、アプローチに原因がありました。
このアプローチは、コンピュータを売る前の時代、機械式の会計機を売っていた時代から始まっていました。
その頃から、IBMは機械を売っていたのではなく、使い方を売っていました。
事実、昔のIBMのコンピュータはレンタルのみであり、顧客はキャンセル料を払う事なくいつでも返却できて導入の失敗リスクを最小限に抑えることができ、またコンピュータ利用のノウハウをSEから得ることができました。(これらは、当時のユーザー企業の経営者がまさに欲しいものでした。機械化の成果が欲しいのであって、決して機械が欲しいわけではありません。)

そして、このためにIBMは多額の資金を自社のSE教育に継続的に割きます。
『Think - 教育に飽和点はない』という言葉は当時のIBMの経営者の言葉でしたが、この言葉通り、多くのアナリストがIBMの成功の鍵は機械そのものではなく、そのSEの優秀さにあったと論評しています。
筆者は、この教育への過信がのちのIBMの凋落に繋がっていると考えますが、その点については、そのうちに。
また、もう一つの特長は、そのソフトウェア戦略・アーキテクチャでした。
昔はオペレーティング・システムの開発というのは、大会社が社運をかけて行うほど大規模でリスキーなものでしたが、OS/360の成功は、IBMの勝利を決定的にしました。

こうしたわけで、当時のユーザー企業は、SEのもつアプリケーション・ノウハウやIBMソフトウェアを使いたくて仕方なく(?)IBM製コンピュータを買っておりました。







2019年2月26日火曜日

10分の1の法則 その4

SysML初級講座 第28. 要求の関係 «deriveReqt» 派生要求をアップしました。 → リンク

Jeep Wrangler


30年ほど前の大型コンピュータは、アジアや欧州の国々に比べ、日本は特別に高価格に設定されていたわけですが、このことについて、筆者は、当時、次の2点、ー すなわち (1.)市場のベンダーに対する高い要求レベルと(2.) 日本法人の非効率な高価格体質 ー が主な原因である、と考えていました。

1. 市場が要求する高いサービス・レベル


これは自動車などにも共通して見られる現象で、車の例で言うと、往々にして日本市場は他国に比べ、ディーラーに対する要求レベル、依存度が高く、顧客がやったほうが安くつく簡単な作業であってもディーラーに頼む傾向が強く、保守・修理もディーラー任せとなり、頼られた側も(自己防衛的な理由もあって)過剰保守・過剰修理になりやすく、結果的に高い買い物になる傾向にあります。
車のオーナーの技術不足、関心不足の為に、高い買い物をすると言う構図は、決して車だけの問題ではありません。

また、特定の国だけ値段が高い ー あるいはアップリフト率が高い ーという状態は、決して秘密でもなんでもなく、各国の価格表や見積書を見比べれば簡単にわかる事でした。
当時のIBMは、独禁法の関係もあり、極端な値引きをして会社の体力まかせに、ー つまり会社の規模を利用してー 力まかせに案件を強引に取って行くと言う手法はご法度であり、どこの国でも定価販売、もしくはそれに近い状態で商売していました。
従ってグローバルな外資系顧客(当時の流行りの表現で言えば、多国籍企業)の中には、並行輸入品を使っている向きも多かったと思います。
その最たる例が米軍であり、ご存知の方も多いと思いますが、米軍内では「クロネコヤマトの宅急便」並みの(?)宅配サービスを兵站本部(か参謀本部)がやっており、どこかで安く仕入れたり、鹵獲(ロカク)してきたりした物(?)を大量に日本に持ち込んで使っておりました。
その場合、保守サービスだけは日本法人がやっておりましたが、保守サービス部門は独立採算であり、そんなバッタもんでも喜んでサポートしておりました。
このような保守サービス政策(ポリシー)は、大口顧客の大半を占めるグローバル企業(多国籍企業)のニーズに合致し、また中古価格の維持にも役立っておりました。
このような状況にあっても、当時既に多国籍化していた日本企業の間でも並行輸入品の利用はさほど進まず、中には ー 非常に印象に残っている例ですが ー、日本で買って、わざわざ海外に運んで使うと言う例もあったほどの状況でした。

(続く)

    2019年2月16日土曜日

    10分の1の法則 その3

    ジープ・チェロキー 2ドア
    前回は、「30年前の大型コンピュータの価格には、SEサービスが上乗せされていた」、と書きましたが、このこと自体は当時、世界共通であって、日本の価格にだけ適用されていたわけではありません。

    特定の地域向けの商品は別ですが、商品の大部分は世界向けであって、それらの価格は米国での価格が基本になっており、大体次の式のように算出していました。

    現地価格 = 米国価格 × 為替レート × アップリフト率

    例えば、米国で100万ドルの機械をオーストラリアで売った場合、現地での価格は、為替レートを仮に本日のレート(1.40 米$/豪$)を使いアップリフトを120%とすると、

    100万 × 1.40  × 1.20 = 168万 豪ドルになります。

    実際には、為替レートは日々の時価を使うのではなく、会計年度ごとに一定のレートを固定して決めておき、製品価格だけではなく、子会社間や子会社ー親会社間のすべての取引に用いられるレートであり、例えば日本法人(子会社)の工場が製造した部品・製品をオーストラリア法人(子会社)へ輸出した場合のコスト振替もこのレートが用いられおり、大体のところ、実勢レートに準じた値を使っていたと思います。
    そして、曲者(クセモノ)はアップリフト率であり、これは海外取引に伴うコストやリスクを勘案した割増率であり、対象の国や対象の製品の性質によって異なるのですが、実際のところ、オーストラリアを含むアジア太平洋州や欧州(ヨーロッパ)のほとんどの国は120%程度だったのに対し、日本だけは160〜190%ぐらいあり特異的に高かった記憶があります。
    この日本のアップリフト率は、概ね大型機ほど高く、また時期によって異なっており、昔はもっと高かったと言われておりました。

    (続く)

    2019年2月9日土曜日

    10分の1の法則 その2

    ジープ・チェロキー
    先日、知り合いのオーストラリア人と日本人が盛んに内外価格差の話をしており、筆者も興味のある分野だったのでついつい会話に引き込まれてしまいました。

    彼らは主に通販サイトでの日豪間の価格差を盛んに議論していました。
    ぐたぐたを端折って、長い話を短くすると、「労働者一人当たりの賃金はオーストラリアの方が高いのに(つまり人件費などはオーストラリアの方が高くつくはずなのに)、なぜ、日本の方が価格が高いのか ?」と言う議論でした。
    もちろん、オーストラリア製はオーストラリアで買う方が安く、日本製は日本で買う方が安いはずなので(そうでもないケースも結構あるようですが)、そう言うものは除外して、どちらで買っても同じものが手に入ると言うような商品に話を限定すると - 自ずと家電などの工業製品が比較の中心になりますが - 、 ほぼ日本で買う方が割高だと言う話でした。

    筆者は、この話をしているうちに、今から30年ほど前、1980年代後半の頃の内外価格差の状況を思い出して来ました。
    当時は、日米貿易戦争が真っ盛りで、米国政府は盛んに米国製を買えと日本政府に迫り、日本側は米国製の日本国内での価格が割高だ(内外価格差)と応酬し合っていた状況でした。

    参考までに言うと、当時筆者は中古のジープ・チェロキー(米国製のSUV)に乗っていたのですが、このアメ車は日本国内では米国内の価格の倍近い値段で販売されておりました。
    と言うわけで、筆者は中古にしか手が出せなかったのですが、車の部品代も日本国内の正規品は非常に高く、ブレーキ・パッドなどの消耗品も、現在のように簡単に通販で手に入る時代ではなく、米国出張の際に向こうの車屋で買い求めて、空港で重量オーバーにならないかヒヤヒヤしながら - 車の部品は値段の割に結構重い - 手荷物と一緒に運び込んでいた状況でした。

    当時、筆者は米国のコンピュータ会社の通信製品のマーケティングの仕事に従事しており、社内では内外価格差に関する調査委員会のようなタスク・フォースが作られていました。
    と言っても、当時は製品マーケティング部門に製品価格の決定権は事実上なく、プライサー(Pricer)と呼ばれる財務畑の人間が決めておりました。
    その重要な要因の一つとして、当時、保守サービス料やソフトウェア使用料は既に別立てに課金されるようになっておりましたが、SEサービスは分離課金されておらず製品価格に上乗せの形になっていたことが挙げられます。(SEサービスが分離課金されるのは90年代以降です。)
    当時のコンピュータは今と違って、店頭に並べておけば顧客が勝手に選んでレジに持っていくと言うスタイルではなく、売るためにはSEの力が極めて重要でした。
    大型案件ほど、営業ではなくSEが売っていると言う状況になっていましたし、もちろん、販売後のSEサービスも極めて重要で、販売後に費やされたSEサービス・コストも製品価格に反映されてゆきます。
    そして、そのSEサービスのコストは年々増加してゆき、製品価格にしめる割合がどんどん増え続け、製品の開発・製造コストなどの直接コストは重要ではあるが、製品コスト全体の一部に過ぎないと言う状況になっていました。
    そう言うわけで、筆者などは開発コストなどの製品コストや競合他社の市場価格などのことをタスク・フォースのメンバーからもっぱらヒアリングされる立場でした。
    (続く)


    SysML初級講座 

    27. 要求の関係 «Satisfy»

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