2020年4月10日金曜日

10分の1の法則 その10 ロジスティクス 兵站

昨今、アベノマスクと言う新造語がよく飛び交うようになってきました。
どうもその発端は、政府がマスクを付けるように指導したところ、もとより不足していたマスクが、流通上の問題(買い占め、転売等)のために、市場から払底し、いくら増産しても最終の消費者に届かなくなったという問題に起因するようです。
つまり、ロジスティクス上の問題が発端だったようです。
これは、本部のロジスティクス計画に問題があったのか、あるいは計画の実行上に問題があったのか分かりませんが、どうも伝わって来る話の中で気になるのは、本部の人間(政府関係者)のロジスティクス軽視とも取れる発言です。
これは、現政権だけの問題か、あるいは官僚機構全般に見られる傾向なのか良く分かりませんが、兵站(ロジスティクス)軽視は戦前の日本軍の思考様式にもよく見られたもので、気になります。

さて、ロジスティクス、兵站はもともと軍事用語であり、武器・弾薬や食料・生活雑貨などを最前線の兵士達に送り届けることを意味しており、早くより最も情報化(IT化)が進んで来た分野の1つです。
そして、軍事から派生して、今では軍事分野以外にも、流通業、製造業など様々な分野で使われている言葉となっています。

しかし、筆者の経験では、海外では非常によく聞く言葉ですが、国内ではあまり聞きません。
これは、企業文化、組織文化の違いもあるでしょう。
昔、筆者は、アメリカの大型コンピュータ・メーカーでプロダクト・マネージャをやっていたことがあるのですが、そこでは毎日のようにこの言葉を聞いていました。

一例を上げると、プロダクトを発表し、注文が入って数カ月後、初出荷のタイミングが来たとします。
その時、出荷OKかどうかのチェックポイント会議が開催されるのですが、メンバーの一人として必ずロジスティクス部門の代表が出席します。
そして、そこでロジスティクスの代表がNOと言えば、出荷は止まってしまいます。
プロダクトマネージャ(以下PM)は、出荷ができないと製品の売上が計上できないので、大慌てでその問題を解決しようとします。
大体の場合、NOが出るのは、その部門だけでは解決できない問題が発生していることが多く、関係部署を集めて会議を開きます。
プロダクトマネージャ制に馴染みがない方のために書くと、ほとんどすべてのミーティングの議長はPMが行います。
そうした場合、IT企業では、往々にして、PMがメンバーの中で一番若かったり、社内格付で一番下っ端であったりするのですが、そういうことにお構いなく、決定はPMが行います。
なぜ、そういうことが可能かというと、1つにはプロダクト部門が予算を握っており、他の部門はプロダクト部門にサービスを売っている形になっている事が挙げられます。
PMに公式に決定する権限がなくても、最終の決裁権をもつ上級のマネージメントに、PMが「このように問題を解決したいと思います。」と報告すれば、それが恒久的な解決策になるかは別ですが、少なくとも応急処置的には認められることが多いことも挙げられます。
また、殆どありませんが、仮にあるマネジメントが会ってくれない、あるいは協力してくれない場合、そこでプロセスを止めてしまってはPM失格で、そのマネージャの上司に問題をエスカレーションします。
上級マネジメントほど、会社の売上げが立てられない問題に対し、オレは関係ないと無視できなくなります。
また、ミーティングのメンバーだけでは解決できないことが判明した場合、問題を更に上級のマネジメントにエスカレーションします。
言ってみれば、PMは他所の部門から見ると、お客さん側の有力な担当者の一人に見えるわけです。

ロジスティクスは、チェックポイント会議の重要なメンバーであるだけでなく、日常的なオペレーションでもPMとは関係が深く、ロジスティクス計画の策定にもPMは関与します(プロダクトのコストやサービス品質、販売戦略にも大きな影響があります)。

日本との比較で言うと、当時から日本は品質に非常に敏感で厳しく、80年代のアメリカ企業は品質に関しては発展途上で、その代わりロジスティックスには敏感だった言えます。
( 日本製品が世界に躍進できた大きな要因は品質だったと言われています。 )
つまり、日本企業が品質に対してフォーカスするの一方、アメリカの企業はロジスティックスに対して注意を払っていたと言えます。

アベノマスクの例で言えば、マスクの品質の問題と、マスクの配布の問題に対する注意で、極論すれば、マスクの品質にうるさい日本と、マスクの配布にうるさいアメリカの対比となります。
もちろん、品質と配布は車の両輪のようなもので、どちらかが欠けても問題です。

民主国家の軍隊では、最前線の将兵の声が最も大きく、後方支援部隊はその満足度を最優先に計画実行するのに対し、製造業では最末端の消費者の満足度を最優先に行動する点で、トポロジー的に似ています。

2020年3月5日木曜日

10分の1の法則 その9

オーケストラと指揮者
今回のコロナウィルスの問題に限らず、内外のメディアなどからは日本政府の対応はいつも "Too slow , too small"(遅すぎる、不十分すぎる)と昔からよく批判され、"too slow, too small"がまるで日本政府のトレード・マークのように 言われていますが、これは決して日本の組織だけの特徴ではなく、また、どんな組織体でもー瞬のうちにこのようなことが常態化する事態に陥いるリスクがあります。
筆者自身も昔、バブルの頃、所属していた組織の状況が急変し、みるみるうちに後手後手のモードに陥り墜落していく姿を内部から目撃した経験があります。

しかし、それを語る前に、まず組織の(情報)モデルについて触れたいと思います。

組織は船に良く例えられます。大きな船は ー 例えば航空母艦のように ー、規模の経済(スケール・メリット)が効く分野の利益を最大限享受でき、大波や強風にも強く安定的で、強大な攻撃力を持ちえますが、同時に、様々な弱点があります。

いくつか上げると、まず、大きな船は自身の慣性力が大きく、急な動作が不得意であり、急激な進路変更や発進・停止ができません。
組織で言えば、大組織は、たとえ官僚主義が蔓延していなくとも、小部隊に比べると動作が遅く機敏さが欠けます。 
しかし、一旦動き出すと、その力は極めて強大であることは言うまでもありませんが。
また航空母艦は攻撃能力は非常に高いのですが、その反面、防御能力が弱く、自身単体で自分を守ることが殆どできません(機敏な動きができない大きな図体の船が、チャプチャプとのんびりと海洋に浮かんでいるわけであり、敵にとっては一撃で倒せる格好の標的になります。
こういうわけで、空母が単独で行動することは通常はなく、大小の多くの軍艦や潜水艦、航空部隊などを引き連れて艦隊を構成して進軍します。

したがって、大規模な艦隊の司令官は、早め早めに指示を出すことが要求されます。曲がれと指示を出してから、舵を切り、実際に巨船が曲がり始め、最後尾の船が完全に曲がり切るまでに相当の時間がかかり、その間、艦船は慣性力であさっての方向に進んでしまうからです。

このように大組織のトップは、オーケストラの指揮者のように、演奏中の音よりも何拍か先を振ったり、何拍か先を指示したりする必要があります。(さもないと、指揮者は、単にオーケストラの前で棒振りダンスをしているだけの存在になってしまいます。)

巨額な費用をかけた艦隊(組織)が、リーダーの遅い指示のために、ドジでのろまな亀(バブル時代のテレビドラマ参照)になるリスクがあるわけです。

続く








2020年2月28日金曜日

10分の1の法則 その8

昨今はコロナウィルスの話題で持ちきりで、どこへ行ってもこの話で盛り上がっています。

筆者はウィルスどころか、生物学すらまともに勉強したことがなく、この分野にはまったくの素人なのですが、情報やデータの観点から、一言、感想を述べてみたいと思います。
というのも、今回の現象は、単にウィルス学や生物学(医学)上の問題だけでなく、広く社会科学的(法学、経済、政治などなど)な問題であり、そのなかで情報の扱いが極めて重大な意味をもつと考えるからです。

現状、海外の報道などを見ると、日本政府の対応に対して批判的に書かれていることが多く、一方の日本政府は海外に対して理解を求めていくという旨の答弁をしていましたが、試しに厚生省のホームページの英文を見ても、極めてブロークンな英文が羅列されているだけで、ブロークンさにおいては人後に落ちないつもりの筆者も降参するほどの意味不明さであり、これで果たして海外に対して情報発信しているつもりなのか?果たして意味が伝わるのか?大いに疑問です。(インターネットは政府にとっても、マスコミに依存せずに情報発信できる強力なツールであることは言うまでもありません。)
現実において、インターネット以外のメディアにおいても日本政府発の情報は殆ど見かけません。
また、英語媒体だけでなく、日本語の内容においても、果たして本当にデータの裏付けがあるのか?と言う疑問符がつく政治家、専門家の発言が多く、事実とオピニオンと願望が入り混じった混沌に見えます。
あえて情報戦略と言う言葉は使いませんが、とても説得力がある内容とは言えません。
戦略思考も、高次の合理思考の一種であり、合理的判断のできない組織に戦略思考を求めるのは、端から無理であったと言うのが筆者の感想です。

さて、情報とかデータとか言う話題で、思い出した出来事があります。

ディスコ・パーティー
1980年代の後半、日本はバブル景気真っ盛り、ワンレン・ボディコン(死語?)の女性たちが街を闊歩し、ディスコ(これも死語?)のお立ち台で踊り狂い、たしかジブリ映画の「となりのトトロ」や「火垂るの墓」が初上演されると言った頃のお話です。


筆者の知人、エヌ氏は、当時、IT企業に務める20代の若きコンピュータ・エンジニアでした。(以下の話は、彼の話に多少の変更を加えて書いています。)

エヌ氏が、その日の朝、いつも通りコンピュータに向かって仕事をしていると、ワンレン・ボディコン姿の秘書が、外人を一人、彼の席までエスコートして来ました。(注: 当時のOLのファッションは大体のところワンレン・ボディコンでした。)

エヌ氏は秘書の差し示す外人の名刺に訝しげに目をやりながら、挨拶をしました。
名刺には「英国外務省秘密情報部( MI6) ジェームス・ボンド」とありました(もちろん仮名)。
ボンド氏は、とても急いでいるようで、挨拶もそこそこに、「我々を助けてほしい、君のボスには許可を得ている。すぐに、一緒にオフィスに来てくれないか?」と言い、エヌ氏はせかされるまま、英国の高級車ジャガー(007の愛車)に載せられ、ボンド氏らのアジトへ連れてゆかれました。

エヌ氏は最初は英国大使館にでも連れて行かれるのかなと想像していたのですが、着いた先は都内某所の高級ホテルでした。
VIP専用エレベータに載せられて、エヌ氏が連れてゆかれた場所は、ホテルの広いスイートで、大きな机の上にパソコンが置かれており、要は、ボンド氏はエヌ氏に「そのパソコンが壊れているので直して欲しい」、と言う話でした。

当時は、パソコンはまだ高価な時代で、日本の企業内にも、さほど普及しておらず、会社でなく個人で使っている人は、まあオタクかその眷属と見て良い時代でした。
高価なだけでなく、当時のパソコンは動作が非常に不安定なところがあり、いったんトラブり始めると、なかなか素人の手に負えず、そのパソコンの持ち主も、やむを得ず、エヌ氏のような専門家の助けを求めたものと思われます。
当時は、たとえIT企業であっても、パソコンを実務に使っているのはもっぱら若手であり、マネージャたちは敬遠している状況でした。(世代的にも当時のIT企業のマネージャたちはメイン・フレーマー)

そんな頃でしたので、エヌ氏は診てくれと依頼されたパソコンをいじりながら、このパソコンの持ち主は一体どんな人だろうか? と想像を巡らせていました。
というのも、パソコンの使い方に、そもそも異質な点があり、気になっていたからです。
そして、ボンド氏にパソコンの主が誰であるか尋ねたところ、彼は隠す素振りもなく、英国首相であるサッチャー女史で有ることをあっさりと認め、そして、そのスイートそのものが滞日中の彼女の部屋(隠れ家?)であることをエヌ氏に説明しました。

「鉄の女」として名高いサッチャー女史は、当時、頻繁に日本に来ていました。
彼女が日本で何をしていたかはよく知りませんが、その滞在中、彼女の甘言に釣られて日本の自動車メーカーが何社もイギリスに連れ去られていったことは当時でも有名で、ご存知の方も多いと思います。(連れ去られて行った自動車メーカーは、今でも英国で元気にやっているようです(多分)。)

さて、後日、エヌ氏が居酒屋で我々に語ったところによると、彼が異質と感じた点は、パソコンに最先端のアプリが入っていたとか、特殊なプログラミングが施されていたと言う技術的な問題ではありませんでした。技術的な問題でしたら、エヌ氏自身が開発部門の技術ヲタ(かっこよく言えば、テッキーやギークたち)をたくさん見ているので、さほど奇異には感じなかったでしょう。
またその頃のサッチャー女史が60代後半であり、日本ではその年代の女性がパソコンをいじっているという事自体が当時としては極めて珍しかったと言うことでもありませんでした。
彼が異質と感じたのは、内容の強い情報志向性と論理性でした。
今考えると、短い時間でそれを感じ取ったエヌ氏の慧眼には感服しますが、聞き手側の我々は極めて鈍感であり(少なくとも筆者は鈍感でした)、もっと卑近な問題に話題はシフトしてゆきました。
80年代において、鈍感な我々も日本と欧米のマネジメントの違いには気づいておりました。
当時のIT分野では、その違いが端的に現れる面が強く、例えば使用する技術は優れているのに出来上がったシステムが極めてお粗末であり、その原因が技術不足ではなく、上流工程、例えば要求マネジメント、にあったと言うような問題はザラでした。

しかし、バブル期の当時、日本のIT産業自身が、アメリカに追いつけ追い越せの勢いの時代であり、急速な進歩の結果、日本のマネジメントが欧米を抜くのは時間の問題、と極めて楽観的に考えておりました。(これは、我々だけでなく日本の社会全体の気分と言って良い状態でした。)

続く