OSI の問題
ネットワーク |
つまり、ユーザー目線から言うと、OSIは、当時すでに実用段階にあったアプリを単に標準化しただけの存在であり、導入したところで何か新しい事ができたり、コストが安くなったりするようなものではなかったのです。
企業固有の拡張機能は、単なる通信の問題を超えてしまい、接続される2台のコンピュータが同じメーカーどうし(たとえばIBMのメインフレームどうし)でないと意味がないようなものも多く、当時の標準化の段階ではとても(標準化の)対象にはなりませんでした。
プロマネBlog倉庫(2011年以降)
HOME | 最新のプロマネBlog | 昔のプロマネBlog(2011年以前) | E-ラーニング サイト( Sisley ) | プロジェクトマネジメント(PMGS) |
---|
ネットワーク |
企業固有の拡張機能は、単なる通信の問題を超えてしまい、接続される2台のコンピュータが同じメーカーどうし(たとえばIBMのメインフレームどうし)でないと意味がないようなものも多く、当時の標準化の段階ではとても(標準化の)対象にはなりませんでした。
ネットワーク |
ISDN、ー NTTの商品名サービス名でいうとINS ー、の方は単に日本国内だけの騒ぎで終始しましたが、もう一方のOSI(Open Systems Interconnect)は日本だけではなく、非常に短い期間ではありましたが、世界的に大きな注目を浴びるブーム、一大エポックとなっていました。
とは言え、 当時はまだソ連崩壊前でしたので世界と言っても西側世界と言った方がより正確ですが。
80年代の東西冷戦下、西側諸国で急速に進められた通信の自由化に伴って、データ通信分野の急拡大が始まりましたが(この流れは、現代のインターネットの興隆に直接つながります)、肝心の通信プロトコルの方は、戦国時代さながらの状況で、例えば大型機の分野ではIBMのSNA、パソコン分野ではマイクロソフトのNetBIOSやアップル社のAppleTalk、NetwareのIPX・・・等々と言った感じで、各企業固有の(プロプライエタリな)プロトコルが群雄割拠しており、異機種間の互換性は皆無で、そのままでは全く繋がりませんでした。
そして、世界の大規模なネットワーク・ユーザーを中心に、異機種間の相互接続性を求める強い要求が、大海を揺るがすうねりとなって、世界中を荒れ狂っていました。
その大波の中、異機種間を接続する共通のプロトコルの有力候補として、注目されたのがOSIでした。
理由として、
ー 80年代は、日本の通信メーカーは世界の通信分野の先頭集団を形成していたと言っても良いほどでした。
令和3年 元旦
あけまして、
おめでとう ございます。
昨年は、高齢の親戚が相次いで亡くなり、年賀状は欠礼しましたが、筆者が生存していることを友人知人に知らせる手段は年賀状くらいしかなく、年始にあたり、やむを得ずこのブログを更新して、まだ生息していることを知らせることにしました。
例にもれず、筆者も昨年はどこにも出かけておらず、唯一の旅行先は、昨年秋に行った信州の上高地だけでした。
上高地もすいており、例年は予約がなかなか取れない帝国ホテル も本年は簡単に予約できたことぐらいが、クロナ禍の中、不幸中の幸いと言うべきでしょうか。
昔、筆者が江戸のはずれに住んでいた頃は、しょっちゅう上高地に行っていたのですが、その頃は、上高地は山登りの出発点、終着点であり、泊まろうなんて言う大げさな振る舞い、大名登山 、狂気の沙汰は夢にも考えたことはなかったのですが、昨年は、大胆不敵にも連泊してしまいました。
人間、堕落すると、どこまでも落ちてしまうものです。
とは言え、帝国ホテルそのものは、なかなか良いホテルでした。
( 日本製品が世界に躍進できた大きな要因は品質だったと言われています。 )つまり、日本企業が品質に対してフォーカスするの一方、アメリカの企業はロジスティックスに対して注意を払っていたと言えます。
オーケストラと指揮者 |
組織で言えば、大組織は、たとえ官僚主義が蔓延していなくとも、小部隊に比べると動作が遅く機敏さが欠けます。
しかし、一旦動き出すと、その力は極めて強大であることは言うまでもありませんが。また航空母艦は攻撃能力は非常に高いのですが、その反面、防御能力が弱く、自身単体で自分を守ることが殆どできません(機敏な動きができない大きな図体の船が、チャプチャプとのんびりと海洋に浮かんでいるわけであり、敵にとっては一撃で倒せる格好の標的になります。
ディスコ・パーティー |
紫の睡蓮 |