2019年2月9日土曜日

10分の1の法則 その2

ジープ・チェロキー
先日、知り合いのオーストラリア人と日本人が盛んに内外価格差の話をしており、筆者も興味のある分野だったのでついつい会話に引き込まれてしまいました。

彼らは主に通販サイトでの日豪間の価格差を盛んに議論していました。
ぐたぐたを端折って、長い話を短くすると、「労働者一人当たりの賃金はオーストラリアの方が高いのに(つまり人件費などはオーストラリアの方が高くつくはずなのに)、なぜ、日本の方が価格が高いのか ?」と言う議論でした。
もちろん、オーストラリア製はオーストラリアで買う方が安く、日本製は日本で買う方が安いはずなので(そうでもないケースも結構あるようですが)、そう言うものは除外して、どちらで買っても同じものが手に入ると言うような商品に話を限定すると - 自ずと家電などの工業製品が比較の中心になりますが - 、 ほぼ日本で買う方が割高だと言う話でした。

筆者は、この話をしているうちに、今から30年ほど前、1980年代後半の頃の内外価格差の状況を思い出して来ました。
当時は、日米貿易戦争が真っ盛りで、米国政府は盛んに米国製を買えと日本政府に迫り、日本側は米国製の日本国内での価格が割高だ(内外価格差)と応酬し合っていた状況でした。

参考までに言うと、当時筆者は中古のジープ・チェロキー(米国製のSUV)に乗っていたのですが、このアメ車は日本国内では米国内の価格の倍近い値段で販売されておりました。
と言うわけで、筆者は中古にしか手が出せなかったのですが、車の部品代も日本国内の正規品は非常に高く、ブレーキ・パッドなどの消耗品も、現在のように簡単に通販で手に入る時代ではなく、米国出張の際に向こうの車屋で買い求めて、空港で重量オーバーにならないかヒヤヒヤしながら - 車の部品は値段の割に結構重い - 手荷物と一緒に運び込んでいた状況でした。

当時、筆者は米国のコンピュータ会社の通信製品のマーケティングの仕事に従事しており、社内では内外価格差に関する調査委員会のようなタスク・フォースが作られていました。
と言っても、当時は製品マーケティング部門に製品価格の決定権は事実上なく、プライサー(Pricer)と呼ばれる財務畑の人間が決めておりました。
その重要な要因の一つとして、当時、保守サービス料やソフトウェア使用料は既に別立てに課金されるようになっておりましたが、SEサービスは分離課金されておらず製品価格に上乗せの形になっていたことが挙げられます。(SEサービスが分離課金されるのは90年代以降です。)
当時のコンピュータは今と違って、店頭に並べておけば顧客が勝手に選んでレジに持っていくと言うスタイルではなく、売るためにはSEの力が極めて重要でした。
大型案件ほど、営業ではなくSEが売っていると言う状況になっていましたし、もちろん、販売後のSEサービスも極めて重要で、販売後に費やされたSEサービス・コストも製品価格に反映されてゆきます。
そして、そのSEサービスのコストは年々増加してゆき、製品価格にしめる割合がどんどん増え続け、製品の開発・製造コストなどの直接コストは重要ではあるが、製品コスト全体の一部に過ぎないと言う状況になっていました。
そう言うわけで、筆者などは開発コストなどの製品コストや競合他社の市場価格などのことをタスク・フォースのメンバーからもっぱらヒアリングされる立場でした。
(続く)


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27. 要求の関係 «Satisfy»

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