2013年10月7日月曜日

OCEB講座 第33回 日本型組織と海洋汚染問題 その4

金沢文庫(称名寺)
金沢文庫に称名寺を訪ねたおりは、金木犀を植える家が多いせいか、甘い香りが通りにただよい、 秋が深まった事を実感させます。
枕草子に、「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏(からす)の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁(かり)などの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。」と言う一節がありますが、中学生の頃初めて読んだ時は、「烏(カラス)は知ってるけれど、雁(かり)がいったいどんな鳥なのか?、ひょっとしたら今の日本では絶滅してしまったのかな?」と首をひねった思い出があります。
清少納言によれば、少なくともカラスよりはさらに遥かに優雅な鳥である事は確かなようですが、 のちに雁は鴨科の鳥の総称で、家禽のアヒルと同種である事を知った時は愕然としました。アヒルは鳴き声も姿もとても優雅とは言えず、そもそも空も飛べません。

筆者は昔IBMに勤めていた事があるのですが、新入社員のころ「野鴨の精神」と言う話をよく聞かされました。
IBMを手回し式の計算機の会社からコンピュータ界の巨人と呼ばれるまでの大会社に育て上げた創業二代目の社長であるトーマス・ワトソンJr. 氏の言葉ですが、この話はデンマークの哲学者キルケゴールの次のような話が元になっています。
毎年秋なると、渡り鳥である鴨の群れは南へと旅立って行った。ある日、近くに住む老人が野鴨にエサを与え始めた。すると、冬になっても、その鴨の群れは南へと飛び立たなくなってしまった。飛ばなくとも食べ物にありつけるので、鴨たちは太っていき、飛ぶことすらしなくなった。そして、その老人が亡くなると、飼いならされた鴨たちは、もはや飛ぶことはできず、全て死んでしまった。」
飼いならされた家禽の鴨(アヒル)は本当に野鴨と同じ鳥かと思うぐらい姿形も性質も変わってしまい、太って飛べず、自分でエサを取る事すらできなくなってしまっています。
そしてワトソンJr.社長は、「ビジネスにアヒルは要らない。野鴨が必要だ。」とし、社員達に「野鴨の精神」を求め、「我が社は野鴨を飼いならそうとはしない。」と語りました。
 この話を初めて聞いた当時は、何か極めて当たり前の事を言われているような気分、例えば「雪は白い」と力説されたような気分になり、何の感銘も受けませんでしたが、後年、社会人生活が長くなり、この言葉の重さを実感するようになりました。
自分は、はたして野鴨の精神を維持しているだろうか? 自由な精神を持っていると言えるだろうか? 当たり前の事ほど難しいものです。

日本人は他国に比べ対人関係への依存度がかなり高い民族だと言われていますが、筆者もそれは事実だと思います。
 そして、大きな組織になればなるほど 、人間組織への依存度が強くなり、組織を離れると飛べなくなり、生活すらできなくなり、さらに極端な場合は、退職後も組織に面倒を見てもらい、ぶら下がって生きて行くようになります。
 さらに悲劇的な問題は、往々にして、そのような状況にあっても、自分が野鴨ではなくアヒルになっている事に気づかない事です。

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