2012年1月24日火曜日

OCEB講座 第7回 ビジョンの失敗

前回の続きです。

IBMの例

3つ目の問題は意識改革の失敗です。当時のCEOが株主から非難を浴び、最終的に馘首になりましたが(経営責任ですから致し方ないとは思いますが)、彼が、時代の変化に気が付かない因循姑息な人物だったかというと案外そうでも無く、むしろ彼を取り巻いていた中間管理職の方がもっと保守的だったような気がします。
 過去の成功体験があまりに巨大すぎると、過去とは異なる不都合な兆候が市場に現れても気が付かなかったり、無視したり、 逃避しようとします。

当時を振り返って、「PCの台頭が予見困難な急激な変化だったか?」と考えると、一部の人種を除けば、けっして難しくない、むしろ自然な流れと感じたと思います。
また、予測困難な市場変化と皆が思っていれば、株主も経営陣をあれほど激しくは叩かなかったでしょう。
IBMがPC市場に参入したのはかなり遅く、AppleやNECなどが市場を席巻した後です。
出現当初から、IBMの動きは市場の動きを後追い掛けしている印象がありました。
社内的に言えば、IBM PCは戦略製品の格付けではなく、4段階あった製品の格付けの一番下か、下から2番目ぐらいの格付けだったと思います。
戦略製品は予算を戦略的に組む事が可能であったのに対し、IBM PCは極めてアドホック的な限られた予算しか組めず、他社の技術に依存した製品になってしまった事は、前回のブログで触れた通りです。

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「PCの台頭が予見可能だったか?」と言う問いに対し、一つ思い出した事があります。実は筆者は、PCの開発がやりたくてIBMに入社した口です。当時の若者の多くは、これからはPCの時代だと思っていました。内定時に開発部門への配属だと言われていたのですが、いざ入社日になって、PCどころか開発部門ですら無いところに配属された事がわかりました。何かの間違いだろうと思い人事の人間を捜したのですが、見当たりません。
結局、人事に騙された形で入社し、数年後、理解ある上司に巡り会い、開発部門に移籍することが出来ましたが、その間、何度も退職を考えました。
今思い出しても腹立たしい出来事ですが、話が脱線してしまいました。 ーー 元に戻します。

先に、PCの台頭は、一部の人間を除けば、予見は容易であった、と書きました。では一部の人間は誰かと言うと、メインフレーム市場の中で育ち成功してきた人々です。
読者の中には、当時の経営者はパッパラパーばかりだったと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、決してそうではありません。 ビジョンの失敗は、優秀な人間こそがやる失敗です。
戦略や戦術の変更に比べ、ビジョンの変更は時に大きな組織的抵抗、軋轢を生みます。
ビジョンの変更は、時によっては、価値の変更を伴います。




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