2012年1月16日月曜日

OCEB講座 第6回 ビジョンの失敗


先日、Macの調子が悪かったので、渋谷のアップルストアに修理に出すついでに、公園通りから代官山まで散歩がてら歩いて来ました。
 昔働いていたオフィスが代官山近辺にあり、その頃よく行っていた店で食事をしようと思っていたのですが、残念ながら休みでした。
左の写真は、新しく出来た代官山 蔦屋書店です。大きくておしゃれな書店で、珍しい本もあり、店内を歩いているだけでも結構楽しめます。



本日はビジョンの失敗例を見てみましょう。
ビジョンの失敗例は世の中にいくらでもありますが、歴史的に有名なものを取り上げてみたいと思います。

IBMの例

1980年代、IBMはコンピュータ界の巨人と言われ、コンピュータ市場の圧倒的なシェアを握り、同時に世界最大の半導体企業でもあり、生産した半導体製品は外販せずすべて内製に使われましたが、それでも足りず、外部からも大量に調達し、世界最大の半導体の買い手でもありました。
競合メーカーはいた事はいたのですが、白雪姫と7人の小人たちと揶揄されるほど弱小で、最大の敵は米国司法省、つまり独禁法だと言われていました。

しかしながら、90年前後から急激に業績が悪化し、93年には当時アメリカ史上最大、つまり世界最大の大幅な赤字を計上するに至りました。
 当時のCEOや幹部の何人かは無能の烙印を押され社外に放り出され、その後、IBMは内部の大変革を迫られる事になりました。
 この急激な変化は、いわゆるダウンサイジング、つまり市場の主役がメインフレームからPCへシフトした事に大きく関係します。
これは、単にメインフレームよりもPCが売れるようになっただけの変化ではなく、方法論やコンピュータ文化も大きく変わりました。 
IBMはPCを作っていなかったのではなく、むしろ製品としては良いものを出し、シェア的にも圧倒的ではないにしろ、トップシェアを占めていました。(個人的には、IBM PCは、伝説の名機、Apple IIと並ぶすばらしい機械だと思います。そのアーキテクチャは皆さんが今お使いのPCに脈々と引き継がれています。)
なぜ、IBMは失敗したのでしょうか?
 細かく議論すると本一冊にぐらいなりそうなので他に譲りますが、要点として次の三項目を挙げます。
本講座の主題であるBPMの観点から言うと、IBMの失敗はそのPCの構造にあります。つまり主要部品であるOSとCPUを他社(Microsoft社とインテル社)に委ねた事が 最大の失敗です(特にOS)。IBMのビジネス・モデルが、組立て販売業者のそれになってしまい、従来IBMが得意としていた高付加価値型ビジネスモデルが完全に崩れてしまいました。この構造のため、互換市場への参入が極めて容易となって、無数のコンペティタと競合する事になります。そして、図らずもインテルとマイクロソフトと言う手強い競合相手を自らの手で育て上げてしまいました(両社とも、80年代は小さな会社でした)。OCEB受験者は、要チェックポイントです。
次の問題は、タイミング、時間の問題です。IBMは、PCの台頭を予想しておりましたが、対応は極めて緩慢でした。80年代後半から90年代にかけて、筆者はIBMの製品企画部門にいた事があります。(具体的には、ある戦略製品のアジア太平洋地域担当のプロダクト・マネージャをやっていました。ちなみに、当時のIBMは戦略という言葉が大好きで、戦略製品、戦略サービスなど、主要なものには、すべてあたまに戦略という言葉が付いていました。)80年代後半には、既に市場からPCの台頭や脅威を示すデータや情報がバンバンあがっていました。ところが、その情報が組織の上層部に上がるにつれ、徐々にマイルドな形にデフォルメされ、ユルいものに変質していくと同時に、対策も極めて緩慢なものになって行きました。当時一番問題視されたのは、この点でした。巨大な身体を持ちながら脳みそが3グラムしか無い恐竜に喩えられ、IBMの経営陣は株主やマスコミから散々に叩かれました。

 (続く)

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