2012年1月12日木曜日

OCEB講座 第5回 戦略の失敗


次に挙げる事例はどなたもご存知の例です。

太平洋戦争の例
 今から70年前の事例ですので筆者を含めほとんどの現役世代は生まれる前の話ですが、その当時を生きた世代からの聞き伝え、映像記録、書籍等、おおよその話は大部分の読者はご存知だと思います。
戦後日本の形成に大きな影響を与えた出来事です。
当時の各国政府の意図や行動など細かい点は未だに百家争鳴の状態で門外漢の筆者など出る幕はないと思いますが、大局的に言って次のような状況だったと思います。
  •  日本は満州事変、満州国建国を通じ大陸利権の拡大を図っていた。中国領土でのヨーロッパ諸国(国際連盟)との利害の対立が深まる。
  • ヨーロッパではナチスドイツが台頭し近隣諸国を席巻する。当時の新興国アメリカのルーズベルト大統領はドイツの台頭を脅威に感じ、ヨーロッパ戦線参入の機会を狙うが、アメリカ国民・議会は厭戦的であり海外派兵には否定的であった。
  • ルーズベルト大統領は、日本の中国大陸での勢力拡張に対し脅威を感じ、中国からの撤兵要求など日本に様々な圧力をかけ始める。
日本の最初の間違いは、中国大陸の利権を独り占めしようとした点ですが、それは置いておきます。
  • (当時は、欧州各国もアジア各地に植民地を持っていて互いにすねに傷を持つ身であり、被支配下の民衆に対する同情はあくまでも建前です。アメリカも(民衆レベルは除き)、日本の支配下にあった中国人に対する同情や正義感で戦争をした訳ではない事は、賢明な読者の皆さんはご存知でしょう。中国の利権をヨーロッパ諸国と比較的平和裏に分け合う余地は十分あったと思います。残念ながら、これが今に続く国際政治の現状である事は諸賢のご推察の通りです。)
 日本の最大の戦略的失敗は、英米、特にアメリカと直接戦火を交える事になった点です。
しかしながら、 戦争の最初期の2つの作戦、陸軍のマレー作戦と海軍の真珠湾攻撃は大成功でした。
日本陸軍はマレー半島を世界の戦争史を塗り替えるほどの破竹の勢いで席巻し、シンガポールまで一挙に落としました。
日本海軍は航空機を巧みに利用した攻撃で米太平洋艦隊に壊滅的な大打撃を与えました。これは海軍史上、大鑑巨砲時代の終焉、航空機の時代の到来を示す画期的な作戦でした。
従って、日本は初戦において戦術的に大成功をおさめたと言えます。しかしながら、その後、総合力に勝る米軍に敗北に続く敗北を喫し惨敗してしまいます。
当時、日本の首脳がどういう戦略で対米戦を戦おうとしていたのか良く分かりませんが、少なくともアメリカと戦う事の危険性は十分認識していたと思います。
開戦直前の首相、近衛文麿は、東条英機陸軍大臣に中国大陸から軍を引くよう指示しましたが、大臣は拒否しています。
もはや軍部の暴走は、誰にも止められない状態になっていました。

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