2022年5月24日火曜日

日本の経済モデル ビジョンの失敗

 

久しぶりに鎌倉の友人から電話があり、積もる話、四方山話の中で、日本の経済モデルに関する筆者の意見を聞かれました。

元より筆者は経済の専門家でも何でもなく、また、このプロマネBlogにそんな経済分野の話題が求められているとは思わなかったのですが、ビジネス・パースペクティブ、特に戦略論の観点から、私見を書いてみたいと思います。

 成長戦略の失敗

以前、〜確か数年前〜、世間で大きく話題になったものに「成長戦略」なる言葉がありました。皆様の中にも憶えておられる方も多いと思います。日本は、明治中盤以降、軍事や経済分野でも戦略的な動きが全く無くなってしまっており、筆者もたいへん注目しており期待を持って見守っておりました。

(注:明治中盤以降から昭和、平成にかけて、戦略という言葉自体は広く蔓延していましたが、そのアプローチは科学的ではなく、むしろ神秘主義的、宗教的な様相を呈しており、まるで「お題目」的な扱いでした。)

しかしながら、日本社会の熱気と大きな期待とは裏腹に、あっという間に失敗と幻滅、失望へと変わってしまいました。失敗と一口に言っても、世の中の失敗の中には、悪いことばかりでなく良い失敗も沢山あるのですが、この成長戦略の失敗は、かなり悪性度の高い失敗でした。経済成長の種をほとんど残さず、むしろ大金をかけて悪化のスピードを加速させ、社会を成長がより難しい体質に変える結果となってしまいました。

 戦略の失敗は、当然、トップの指導者の無能を意味しますが、この成長戦略の失敗や、同時に行われた他の関連する経済施作などは、はからずもトップだけではなく、トップを支えるブレーンたちや、官僚機構の(少なくとも上層部の)無能も明らかにしてしまいました。

ビジネス・パースペクティブから見た現在の日本経済

 1990年代から現在に続く日本経済の停滞状況〜いわゆる「失われた20年とか30年」〜は、通常の季節的な景気循環に見られる金利の上下動や投資の波では説明がつかない症状を示している事は論を俟ちません。

筆者は現在の日本の経済状況は、歴史的に見て一つの王朝・国家の繁栄・衰亡を決定しうる重大な局面を呈していると考えます。

話をより具体的にするために、歴史的に類似する例を挙げて、比較して見たいと思います。

現在の日本の経済の症状に最もよく似た例を歴史上から探すとすると、1970年代から80年代にかけてのアメリカ経済の衰退が挙げられます。

 第二次世界大戦後のアメリカは、戦争の被害も少ないこともあり、その工業力は目覚ましい発展を遂げ、世界最大の工業国、世界の工場として君臨し、その経済力には飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。ところが、70年代に入ると、その勢いも急激に鈍化してゆきました。工業力、特に重工業分野での国際競争力を失い、工場は閉鎖され、大口の雇用先が次々と無くなってゆきました。多くのアメリカの製造業はアメリカ国内への投資をやめ、海外投資に向かいました。

当時、アメリカの新しい産業分野である、コンピュータ産業、情報産業は絶好調と言って良いほどの好業績で高い成長率を維持していましたが、アメリカの工業力の衰退を埋め合わせて引き上げるだけの力はありませんでした。

失業問題や都市の犯罪事件の増加、景気後退と高インフレの同時進行という大不況の中にアメリカは喘いでいました。このアメリカ経済の急激な減退は、その工業分野の国際競争力の急速な失墜によるものでした。

もう一つ似た例を挙げるとすると、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリス経済の失墜が挙げられます。ご存知の通り、イギリスは世界最初の工業国になった国家で、19世紀はパックス・ブリタニカと呼ばれたイギリスの時代となり、世界最大の工業国として君臨していました。ところが、20世紀に入ると、2度の世界大戦の敗者であるドイツに工業分野の国際競争力で2度も負けてしまいました。

詳しくは、本ブログのOCEB講座:戦略とビジョンの中のビジョンの失敗:イギリスの場合を御参照ください。
20世紀後半、アメリカが工業分野の国際競争力で敗れた相手は、世界大戦の敗戦国、日本と西ドイツでした。日本は、アメリカに対し、低コスト、高品質を武器に輸出を増やし1980年代には、アメリカにとって最大の工業製品の輸入相手となり、貿易赤字と財政赤字のいわゆる「双子の赤字」と「スタグフレーション」は、停滞期(70年代〜80年代)のアメリカ経済を象徴する言葉となってしまいました。

 一国の経済環境の国際競争力失われた場合、その分野への新規の投資が先細りしてゆき、競争相手である国際競争力の勝った国へ資本が流れていく事は19世紀であろうが21世紀の現在であろうが変わりません。むしろ流出速度は相対的に上がっています。

日本の国際競争力が負けた相手は、80年代に日本に遅れて急成長してきた東南アジア、そして中国でした。 東南アジアと中国の強みは個々異なりますが、大きく言って、低価格と大市場へのアクセス(大陸中国)の2点と言って良いと思います。

ビジョンの失敗

自国の国際競争力の失墜に対し、アメリカ政府とイギリス政府の対応は対照的でした。

アメリカ政府は自国の製造業を強化する為のあらゆる方策(品質改善運動など)を尽くし、海外企業(特に製造業)を国内に呼び込むために海外資本が投資しやすい環境を整備し、また新規産業の育成を図りました。

それに対しイギリス政府は国際競争力を取り戻すための政策をほとんど行いませんでした。

そして日本政府の対応は当時のイギリス政府の対応に酷似しています。

「イギリス政府は、既得権益の保持に終始し、新分野(当時の新分野は重化学工業)、自然科学の基礎研究分野への投資が疎かになってしまった事が大きな失敗であった」、つまりピーター・ドラッカー氏の言う所のビジョンの失敗を、日本政府も犯し続けています。

 (続く)


 

 

 

 

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