東大寺 大仏殿 |
80年代になると円高や好景気を背景に、日本人が海外で働く事が一挙に一般化しました。
70年代以前は海外勤務と言うのはまだ珍しく、限られた人々だけのものでしたが、80年代以降、いわゆるエリート層だけではなく普通の人々ー大衆が海外勤務に就く事になりました。
この流れはその後途絶える事なく現在に続きます。
筆者も20代の頃アメリカで働いたことがありますが、そこでアメリカを発見する事になりました。
今の時代に「アメリカを発見」と言う言葉は大げさに聞こえるかも知れませんが、実際、冷戦下の日本のマスコミはやたら社会主義、共産主義を礼賛する傾向が強く、ソ連や文化大革命などを賞賛したりする一方、日本やアメリカを強く批判し、 海外の情報が相当に歪んだ形で国内に伝わっていました。
日本独自の見解を持つ事は大切ですが、国外の情報を正しくつかむ事も同じぐらい重要です。
当時のマスコミが伝えるアメリカ像も相当に歪んだものであり、筆者も現実とのキャップに驚かされた一人でした。
そしてアメリカを発見する以上に日本を発見することになります。
アメリカで生活をする上で自分の内なる日本人を意識せざるを得ず、また海外から見る世界の中の日本と言う視点も日常的に加わります。
こういった体験は明治時代は国費留学生等のエリートだけのものでしたが、80年代には筆者のような一般大衆のレベルのものになって来ました。
かつてエリートだけが海外渡航していた時代には、相対的な日本観を口にする事は極めて危険な行為であり、「アメリカでは ・・・」とか「おフランスでは・・・」と言う発言は誤解を呼びやすく「西洋カブレ」とラベルを貼られたり、組織の中で浮いてしまい攻撃を受けたりするリスクが非常に高かったのですが、相対的な日本観が大衆化した今では、世代にもよりますが、かなり普通になって来つつあります。
とは言え、21世紀の現代でも筆者などが海外事例の話をしていたりすると、『西洋カブレ』に類するような批判を受けたりする事がたまにあるぐらいですから、かなり根深い感情です。
ちなみにこのような批判に直面した場合、筆者などは苦笑するだけであえて反論をしません。
理由として大きく2つあり、1つは、事実として筆者自身、相当に「西洋カブレ」している点です。カブレかたもかなりひどく重度の重傷であることを認めざるを得ません。
もう1つの理由は、「西洋カブレ」と批判する御本人が筆者に負けず劣らず相当にカブレている事です。
つまり、猫がほかの猫から猫顔を批判されているようなものであり、猫顔を批判する猫と批判される猫の違いは、鏡を見た事があるかないかの違いです。
言い換えると、我々の世代は、大衆レベルで多くの人が日本を外から見るチャンスを得始めた嚆矢と言えます。
筆者の世代では、決して多数派とは言えませんが、一定の割合で海外勤務の経験者が増えて来ました。
統計的な数字は持っていませんが、個人的に学生時代の友人を考えると6割以上が海外勤務の経験を持っており、 中には通算して国外にいる時間の方が長い人もおります。
場所も欧米だけではなく、様々な国に赴任しており、筆者の親戚の中には、南米のチリで南極のペンギンと一緒に撮った家族写真を送って来たかと思うと、次の年には極北のロシアから年賀状を送って来た人もいます。
着実に、日本社会の中に日本を外から眺める機会があった人の割合が増えて来ていると言えるでしょう。
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