2019年3月14日木曜日

10分の1の法則 その6 ジャパン アズ ナンバーワン

SysML初級講座 第30講「要求の関係 «verify» と «testCase»」あっぷしました。 → リンク先 


 輸入品のコストを上げる要因としては、1.市場のサービスに対する要求レベルの高さに加えて、2.日本法人の高コスト体質の問題がありました。
ここで言う高コストと言うのは、日本企業との比較ではなく、日本以外の国に配備されたIBMの現地法人、ー 例えばオーストラリアIBMなど ー、との比較です。


優れたコストパフォーマンスの80年代の日本 
 80年代の日本の製造業は非常にスリムで若々しく、テクニカル・バイタリティに溢れており、IBMとは比べ物にならないほどの高いコスト・パフォーマンスをあげているように筆者の目には映りました。

 一人当たりの人件費は、日米でさほど差がなかったのですが(*注)、コストを比較する上でまず目につくのが、英語⇔日本語の翻訳コストでした。

オーストラリアは英語が公用語ですので問題はありませんが、アジアの日本を除く非英語圏は、市場規模が小さく人員も限られており、現地語へ翻訳するとしてもパンフレットや基本的な概要書程度であり、翻訳に時間とお金をかける国は日本以外にはありませんでした。
当時の大型コンピュータ関係のマニュアルの量は膨大なものがあり、また当時、IBM固有のジャーゴンの混ざった技術文献の翻訳を外注に出すことが難しいこともあって、主なマニュアルの翻訳は社員がやっており、さらに、社員しか読まない、かなりの量の内部文書も日本語に翻訳されておりました。

これは、日本をのぞく海外の子会社の社員はマネジメント系、SE系を中心に英語と現地語の両方を話す二言語話者(バイリンガル)が雇われておりましたが、日本法人の場合、規模がそこそこ大きいこともあって、大半の人材の供給を新卒市場に依存しており、ほとんどの新入社員は英語ができない状態で入社していたと言う状況にあったからです。

さらに、もう一つ重要な要素として、80年代は、日本法人自体のオペレーションが米国型から日本型にシフトして行った事も上げる必要があります。

当時は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか「ノーと言える日本」と言った書物がベストセラーとなった事に象徴されるように、ことごとく日本型経営に学べ、と言う機運が強く、外資系子会社でありながら、社内の全てのやり方が急速に日本企業を見習ったものに変貌してゆきました。
最近は、中国で「ジャパン アズ ナンバーワン」がよく読まれていると言う話を聞くと、それはそれで非常に感慨深く感じます。 
なんでも、現在の中国の状況に80年代の日本を彷彿とさせる点が多いとか。
この結果、社内の運用効率が、日本企業より悪い事はもちろんとして、他のIBM現地子会社より相当に悪化した事は間違いありません。
米国IBM本体の持つ官僚主義的非効率性と、日本化にともなう非効率化が重ね合わさった結果、非常な高コスト体質となっていました。

例えば、当時、製品の開発コストは、日本法人が行なった場合、日本企業に比べ少なくとも3倍以上かかる、と言った状況でした。

(*注)エンジニアの名目的な賃金レベルは、80年代には日本は米国に追いついていました。 ただし、米国の方が基本的な生活費が安く、社会インフラの拡充度の差もあり、実質的な豊かさは追いついていたとは言えない状態でした。

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