浄智寺 山門 |
浄智寺は北条氏が建立した鎌倉五山第四位の禅寺です。
皆さんご存知の通り、北条氏は鎌倉時代には事実上の日本の支配者でしたが、他の時代の支配者と比べ華美に走らず、鎌倉中にいくつも禅寺を建て、どの寺も質素剛健の印象が強く、一言で言うと風変わりな支配者でした。
ビジョンの問題 ー 目的の喪失
「失敗の研究」は、様々な日本の組織的問題を揚げていますが、このブログでは、指摘された問題を、出版後30年経った現代の視点で未だに大きく残る問題(その多くは、筆者の視点では、当時より、さらに悪化しています)をピックアップして議論して行きたいと思います。
そして最後に最大の謎(もっとも筆者にとっての謎ですが)、なぜ日本では組織的問題が増大し続けるのか?についても議論したいと思います。
あいまいな戦略目的と作戦目的との不一致
大東亜戦争での日本軍の中枢部から示される戦略目的は極めてあいまいで発散的であり、極端な場合は両論併記ーいわゆる玉虫色であり、後付け的な対応と追認的な態度とが相まって、この時点で既に敗北を運命付けられていた観があります。また戦略目的が不明瞭ですので、現場の解釈はさらに発散し、作戦目的はバラバラになり中途半端なものになって行きます。
そしてついには組織から目的が失われ、何のための作戦か解らないものが作られ実行に移されて行きました。
インパール作戦はその典型例の1つであり、莫大な犠牲(参加人員10万人中戦死者3万人、戦傷戦病で後送された者2万人、残りの5万人のうち約半数は病人であったと言う)を払って惨憺たる失敗に終わり、作戦が中止された時には、確保していたビルマの防衛も失ってしまいました。
なお、この作戦に参加した3個師団の師団長全員が作戦途上で解任・更迭されると言う異常事態を生みました。
この作戦など仮に成功していたとしても大勢に影響は無く(端的に言えば、日本軍の最大の敵である米軍にとっては痛くも痒くもない戦略上の要地でもない失地)、司令官の点数稼ぎのための作戦だったと言われています。
ちなみにこの司令官は、当時の日本軍の基準でも無能の極みでしたが、上層部のおぼえがめでたかったのか、責任を問われる事もなく、その後も陸軍に居続けました。
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